この世に属さないすばらしい国

A. クリスマスに向けてバンドの練習

 牛込キリスト教会のクリスマス礼拝で毎年演奏するバンドに、今年はオーボエが加わります。1987年から約20年、いつかメンバーが増えるようにと希望を持ち、毎年のように、牧師先生と夫人の二人でO Holy Nightを演奏してきましたが、2年前にソプラノとベース、昨年はヴァイオリン、そして今年オーボエ奏者が与えられたのです。演奏者は皆クリスチャンとして、謙虚に神さまのご栄光を表したいという思いで一つになっています。 元々芸術は、神さまの素晴らしさを表すためのものです。神さまの素晴らしさは、この世的な力では表せません。神さまの国は、この世に属するものではないからです。

B.聖書より

イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
ヨハネによる福音書18章36節

 総督ピラトの前に連れてこられたイエスさまは、ピラトから「ユダヤ人の王なのか」と質問されます。ピラトは、なぜイエスさまが命を掛けても王であると主張するのかを知りたかったのです。すると、イエスさまは、この世には属さない、神さまの国の王であると宣言されました。イエスさまは、この世的な王とは全く異なった、神さまの国に属する王として来られたのです。

C.新しくされた者の表現―クリスチャン・アート

 

 クリスチャンによって造られる様々な芸術作品は、「キリストを信じることによって、新しくされた者の表現である」、とバイブル・アンド・ミニストリーズの町田牧師は言われます。そして、クリスチャンの芸術作品を通して、その作者の心にある信仰の世界を見てもらいたいと考えておられるのです。
 元々芸術の歴史は、キリスト教美術との関係が深く、ミケランジェロやレンブラントを初め、多くの芸術家たちによって聖書の世界が描かれてきました。イエスさまによって新しく生まれ変わった人は、新しい自分、新しい自己をいただき、自己主張と、もう一つ、新しい自己の主張で表現できます。一方、古い自己のままで表現する作品は、人々から自分のことを崇められたい、自分が人よりもうまく描きたい、という思いで描かれています。新しい自己にされた者としての主張は、神さまとイエスさまの救いの素晴らしさを表現するのです。会員の一人で、クリスチャン画家の服部州恵(くにえ)さんは、次のように語っています。
 「クリスチャンになる前は、自分の内向的な性格から、混沌としたことに捕らわれていた部分があり、それが表現されていた。そのため、色調も暗く、それを表現することで、その暗さを解消したいという方向性があった。更に、ただ技術だけが磨かれて行けば良いといった考えであり、それは自分のために製作していた。ところが、クリスチャンになってからは、絵を描くことが神さまからのギフトであり、このためにわたしはいるのだということが明確にされて、それをやって行くことで、一番神さまを身近に感じられる時間であり、ある意味、礼拝みたいな時間になっている。表現も色彩も明るくなってきて、描いているときの気持ちが幸せであることが一番の違いだと思う」。
 エフェソ2章10節には、「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである」(口語訳)とあります。わたしたちも、普段の生活の中で、愛の業を行い、神さまの国を実現できたら、その人生はアート(芸術作品のように素晴らしいもの)になるのです。

D.結び

 イエス様は、この世には属さない、神さまの国の王として来られました。神さまの国は、イエス様により贖われたわたしたちの内面から実現し、やがてその祝福が身の周りの人々へ広がって行くのです。神さまの国の王であるイエス様に従って行きましょう。
御翼2008年11月号その1より
  

世界で活躍したクリスチャン HOME