「イエス様の名によって願うならば」 


A. 松井秀喜選手の知恵
 ニューヨーク・ヤンキースのある試合中、先頭打者だった松井秀喜選手の打球がファールになりました。そのとき、キャッチャーのミットがバットに当たったからだと松井選手は抗議しましたが、審判は認めません。松井選手は、黙って打席に戻りましたが、ただでは引き下がりませんでした。次にピッチャーがモーションに入る直前、タイムを要求してストップをかけたのです。ピッチャーはそれでペースを崩し、松井選手には四球、結局松井選手がホームインしてヤンキースは一点を返しました。
 ごねることもなく、知恵を働かせて不利な状況から自分を救った行動は、聖書が愛読書だという松井選手らしく真理に立ち、堂々としていました。物事を実現させるには、何事も正しい道があります。自己中心的な願いは聞き入れられませんが、愛や真理を求めた御心にかなった思いは実現するのです。
 御心にかなう願いのことを、イエス様は、「わたしの名によって願うこと」と言われました。そのような願いは神さまがかなえてくださるのです。

B.聖書より
わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
                                       ヨハネによる福音書14章13節

 神さまが聞かれるのは、イエス様の名においてなされた祈りです。個人的復讐や野心、他人より優れていたいという願いなどは、自己中心的な祈りで、それは聞かれません。祈りの目的は、欲しいものを、欲しいときに、欲しい方法で手に入れることではないのです。祈りとは、思いや願いを、御心に沿ったものにする為の霊的な訓練です。神さまを自分の関心事へと動かすための手段ではなく、わたしたちの思いを神さまに引き寄せるのです。祈りの中で、罪を悔い改め、赦しをいただくことで、わたしたちは思いが清められ、神さまの御心に近づきます。

C.「あの歌声を再び」テノール歌手 ベー・チェチョルの挑戦
 「アジアで100年に1人の逸材」と言われた、韓国人テノール歌手、ベー・チェチョル(38)さんは、2005年、甲状腺がんに侵され、癌の摘出手術で声帯を動かす神経の一部と、喉の筋肉が切断されました。命はとりとめたものの、歌手にとって命と同様の「声」を失ってしまったのです。日常生活に困らない普通の声は出ますが、医師からは、声楽家としての人生は殆ど終わったと告げられました。
 しかし、ベーさんはもう一度歌えるようになりたいと、日本の専門医から、声帯の機能を回復させる手術を受けました。術後、声帯はしっかりと閉じるようになり、かすれた声は直りましたが、本来の声量を出せません。癌の手術で横隔膜を動かす神経の一部も切断されて、右側の肺は半分しか空気が入らなくなっていたのです。 
病気になったことで、ベーさんの神さまへの信仰はより深いものになりました。毎週水曜日、家族で祈祷会をしており、ベーさんは次のように述べました。「わたしが今置かれている苦難から、神は明日、明後日にでも救い出してくださるかもしれません。明日、明後日にでも歌うことができるようにしてくださるかもしれません。わたしたちが試練に耐え、御心を信じて、その日を待つことを神は価値あることだとお考えになっているのです。わたしの人生に、神がどのような試練をお与えになったとしても、それを乗り越え、生きて行くというのが神からのお導きだと思います」
 オペラはまだ歌えませんが、聖歌や讃美歌のレパートリーが増えていきました。あるとき、教会で「輝く日を仰ぐとき」を歌い、その歌声を聴いた日本のプロデューサーは、こう語りました。「彼の音楽の根幹が、幹が更に太くなった。声が出ていても出ていなくても、アーティスト、芸術家としての心、魂というものは、皮肉なことに、こういうことがある方が逆に大きくなることがあるのだなと感じます。歌は本当に感動的で、素晴らしい」
 ベーさんは、歌をあきらめたりはしません。なぜならば、大切なメッセージを伝えられなくなるからだと言います。時間がどれだけ掛かるかわかりませんが、多くの人に再び歌を届ける日が来ることを信じ、歩み続けているのです。人を感動させるために歌うのが目的であるならば、ベーさんは既に自分の「願い」をかなえていただいています。

D.結び
 祈りとは、欲しいものを欲しい時に手に入れる手段ではありません。自分の願いを御心に適うものとするための霊的な訓練です。祈りの中で心を神さまに向け、御心に近づきましょう。御心とは、人が神さまの子として祝されることです。
                                                御翼2008年3月号その4より

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