「私は葡萄(ぶどう)の木、父は農夫である」

A. 教会幼稚園の謝恩会で
 今年度で幼稚園を退職されるT先生は、挨拶の中で、「お祈りして、神さまとイエス様を思い出してください。そうすれば皆つながっていられます」と信仰的な内容を述べられました。T先生は、教会幼稚園でたくさんの良い実を結んでおられます。
 イエス様は、「わたしにつながっていれば実を結ぶ」とぶどうの木のたとえを語りました。


B.聖書より  
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。    ヨハネによる福音書15章2節
 ぶどうは、実のなる枝と実のならない枝とがあります。実のならない枝は、木からの養分を無駄使いさせないためにバッサリと切り落とされ、この刈り込みなしには収穫は得られません。
 「わたしにつながっていながら実を結ばない」とは、御言葉を聞いても実を結ばないことです。イエス様を受け入れても、苦難や欲望によって信仰を捨てた人たちは、他の枝が実を結ぶことを妨げる者とならないよう、神さまと人との交わりから排除されてしまいます。また、クリスチャンが持つ様々な悪い習慣も、神さまは刈り取ってくださいます。不必要な枝が払われて実が豊かに実るように、クリスチャンは神さまの試練によって清められるのです。

C. 命より大切なこと――星野富弘
 星野富弘さんは、中学校の体育教師となって僅か2ヶ月目(当時24歳)、体操部の部員を指導中、空中転回に失敗し、頸(けい)髄(ずい)損傷、肩から下が麻痺して動かなくなってしまいました。牧師となった大学の先輩が持ってきてくれた聖書を、富弘さんがへりくだった思いで読むと、「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(Iコリント12:22)という言葉を見つけます。神さまは、私のような者にも役割を与えて何かをさせようとしておられると感じ、入院中に洗礼を受けました。そして、今の私の役割は、口で字を書くことなのかもしれない、と思うようになり、訓練の結果、神さまの御業をあらわす草花を描き、詩を書き添えるようになりました。 
 描いた作品を集め、展覧会を開くと、絵を見た何人かの人から、詩画集の出版や、雑誌に連載したいという話が始まり、大きな希望と目標が与えられました。富弘さんの代表作の一つがこれです。

     いのちが一番大切だと思っていたころ、
     生きるのが苦しかった。
     いのちよりも大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。
                               〜星野富弘〜

 富弘さんは、『命より、大切なことがある。それは何か?』と問いかけています。この地上で命よりも大切なこととは、イエス様と出会い、神さまの愛を受け、分け与えることなのです。自分も神さまに愛され、ゆるされ、必要なものが備えられて生かされていることを知ったとき、その愛を人々に分け与えようと思えます。そして、不自由な身体を用いてでも神さまの愛を現せるのです。それを知った富弘さんは、内面から輝く命にあふれています。
 富弘さんが肢体麻痺となったのは、自らが起こした事故ですが、神さまはそれを用いて富弘さんを救いへと導き、魂を鍛えられました。これは、富弘さんがより豊かに実を結ぶための「農夫による手入れ」であり、クリスチャンの知人や妻など、神さまは全ての必要を備えておられるのです。

D.結び
 神さまは、わたしたちが豊かに実を結ぶために、妨げとなるものは取り除いてくださいます。御言葉を受け入れ、実行し、ぶどうの木であるイエス様につながり、良い実を結ばせて頂きましょう。
                                                御翼2008年4月号その4より


               
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