「御名を現すこと」
A. 時効直前の自首
 ロサンゼルスで、ある犯罪者が、時効直前に自首しました。その理由は、「墓石に実名を彫ってもらいたかったから」だといいます。名前は、その人の本質を表すものであり、軽視できません。特に旧約聖書では、名前はその人の特徴すべてを意味します。
 イエス様は人々に御名を現わされました。それは、神さまがどんなお方かを示した、という意味です。人が神さまの御名を口にできるのは、イエス様の十字架によって神の子とされたからです。

B.聖書より
世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。
ヨハネによる福音書17章6節
 「御名を現す」は、この場合「栄光(神の素晴らしさ)を現わす」と同じ意味です。イエス様は全生涯を通して、ご自分の言行をもって父(神)の栄光を現わされました。
 イエス様の時代には、神さまは、普通の人々がその名を語ってはならない遠く離れた存在でした。イエス様は、わたしたちのために十字架上で犠牲となられ、神さまは愛であることを現し、近い存在としてくださいました。だから、人は悔い改めるならば、神さまに語りかけ、その御名をロにすることができるのです。

C.「わたしは宣言する!」ささきみつお(弁護士)
 
クリスチャン弁護士の佐々木満男先生は、常々、「ことばの力」を意識して来られたといいます。そして、聖書の言葉と個人的な信仰体験をミックスした、信仰告白の宣言文を書かれました。

「わたしは宣言する!」 
わたしの人生のスタートは、わたしのために神が造ってくださった、全く新しい「今日」というこの日である。
わたしに降りかかってくる、どんな苦しい試練やどんな嫌な問題も、わたしは、「天国に向かう明るい希望」を持って、耐え抜いている。
わたしは、「勝利から勝利へ」と前進し、「栄光から栄光へ」と造り変えられている。
キリストの十字架の犠牲とその流された血潮によって、わたしの過去、現在、将来のすべての罪は、「完全に赦されている」。
わたしは、すでに世に勝っている。わたしは日々、「圧倒的な勝利者」となっている。
わたしの前に立ちはだかるどんな問題の山々をも、「神のカ」によって、わたしは粉々に打ち砕いている。
わたしは「いつも喜んでいる」。わたしは「絶えず祈っている」。わたしは「すべてに感謝している」。
苦しい試練や嫌な問題の中にあってこそ、わたしは、「愛と力と栄光の聖なる神」とのすばらしい関係を、ますます深め、ますます強めている。
わたしは、宇宙万物の創造者、支配者、所有者である「全知全能の神」の「相続人」である。
わたしは、キリストと共に復活し、神の無限の命によって、「永遠に生かされている」。
キリストの「十字架の究極の愛」をもって、わたしは、心を尽くして神を愛し、自分のように人を愛し、心から人を赦している。
いのちを惜しむことなくわたしを愛してやまないイエス・キリストこそが、「わたしのすべてのすべて」である。

 
佐々木先生が、弁護士として扱われたケースで、一番印象に残っているのは、あるクリスチャンの借地人の代理として訴訟を起こした事件でした。依頼者は、借地に建てた木造の家に長年住んでいましたが、老朽化のためビルに建て直そうとしました。ところが、地主がそれを許可しなかったのです。第一審で敗訴し、控訴してもうかくいかず、絶体絶命という状況の中、近くに地下鉄の駅ができるらしい、という情報が入りました。そこで、問題の土地を買ってもらえないだろうかと、地下鉄本社の上層部の方に面会し、事情を話しました。すると、なんと問題の土地がちょうど駅の出入り口になっていて、面積もほぼ同じだということが分かったのです。地下鉄本社の方も、ここは買収したかったのだ、とびっくりしていました。土地は高額で売れ、地主は大喜びで、借地人にもまとまったお金が入り、もっといい場所に大きなビルを買うことができました。
 「裁判の中心におられるのは神ですから、『この事件にあなたの栄光が現され、正義と愛が実現しますように』と祈らざるを得ないのです。負けても、この後に何かある、と期待ができますね。当座はなかなかそう信じられませんが」と佐々木先生は言われます。

D. 結び
 
わたしたちが、日々、神さまの御名を呼び、神さまと親しく祈りの中で交わらせていただいているのは、イエス様の多大な犠牲があったからです。それゆえに、不完全なわたしたちでも、全知全能の神さまと交わり、神さまの御名を口にし、御言葉にある力をいただけるのです。
                                             御翼2008年8月号その3より

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