「信仰・希望・愛によって人を育てる」

A. 「シャレーみのり」で聖書研修キャンプ

 クリスチャン夫婦が経営する農家民宿「シャレーみのり」は、お客さんも参加できる農場を作ろうと、あちこちに点在していた農地を一箇所に集めて農園を作りました。敷地内に建てられた宿舎は、ボーイスカウトや教会の研修に利用されています。牛込キリスト教会の聖研キャンプでは、有機野菜の収穫を通して、神さまのお恵みを体感し、大自然の中で聖書を読み、祈り、信仰の兄弟姉妹と交わることで、神さまの愛を体験できました。今、経営者の星野さんの願いは、敷地内に教会を建てることだといいます。
 農家において何か特別なことをしたいという希望を持ったことが、すべての始まりでした。

B. 聖書から

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリント第一13:13)

 希望をもつと、わたしたちは信仰を求めます。イエス様への信仰が基盤にある希望は、本物となり、信じるところには愛が生まれるのです。親として子どもたちに希望を持ち、親への信頼、そして神さまへの信仰を育てたとしても、その根底に愛がなければ、信仰も希望も意味のないものになります。イエス様の性質をもつことが神さまに似ることで、親が神さまの愛を現わす家庭は祝され、神さまの導きを得るのです。

C. 母の愛を知り、謙虚になった富弘さん

 星野富弘さんは1970年6月、中学校の体育の教師になって僅か二ヵ月後、体操部の指導中に宙返りの手本を見せようとして失敗、頸髄(けいずい―首の中の太い神経が切れる)を損傷し、肩から下が麻痺して寝たきりとなりました。あるとき、つきっきりで世話をしていた母親が食事を食べさせていたとき、汁を富弘さんの顔にこぼしてしまいます。富弘さんは、口に入っていたご飯粒を母の顔に吐きかけ、「何やってんだ、くそババア!俺なんかどうなってもいいんだ。産んでくれなければよかったんだ」とののしりました。母はじっと涙をこらえていましたが、しばらくして、富弘さんの顔に止まっているハエを見て、そっと手で捕まえようとしました。富弘さんの顔には、母の手のぬくもりだけが残り、富弘さんは、「これが母なんだ」と思いました。富弘さんは、怪我をして入院することがなければ、この愛に満ちた母に気づくこともなく、自分の自己中心的さにも気づかず、一生傲慢な気持ちで過ごしてしまうところだったと言われます。
 大学時代の先輩が持ってきてくれた聖書をへりくだって読むと、「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(Iコリント12の22)という言葉を星野さんは見つけました。神さまは、私のような者にも役割を与えて何かをさせようとしておられ、今の私の役割は、口で字を書くことなのかもしれない、と思うようになります。その神さまに謙遜に従って行こうと、入院中に洗礼を受けました。訓練の結果、絵も描けるようになり、人々を励まそうと、神さまの御業をあらわす草花を描き、詩を書き添えるようになりました。
 人を羨(うらや)んだり、憎んだり、許せなかったり、そういうみにくい自分を、忍耐強く許してくれる神の前にひざまずきたかった。キリストの「私の所へきなさい」という言葉に、素直についていきたいと思った。「父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でわからないのです」と、十字架の上から言った、清らかな人に従って、生きてみようと思った。私のような者でも「信じています」と言えば、神様はうなずいて、天の真っ白い紙に私の名前を書き入れてくれるのではないだろうか。・・・怪我をしたおかげで自営業になった。定年がないどころか、やればやるほど奥が深くなる仕事が与えられている。好きなことでも職業になると嫌いになってしまうこともあります。でも私は、描けば描くほど次々にやりたくなってくる。 富弘さんの最新の本『ことばの雫』より
 このような信仰へと富弘さんを導くきっかけとなったのが、母親の犠牲愛でした。お母さまは希望を捨てずに富弘さんを支えられたのです。富弘さんはお母さまの愛を通して信仰を持ち、神さまから注がれる愛をわたし達に伝えておられます。

D.結び

 希望を持ったとき、人は信仰を求め、信仰が与えられることで、希望は確かなものとなります。そして、希望をもって信じるところに、愛が生まれるのです。信仰と希望と愛をもって、人を育てる人となりましょう。           御翼2008年9月号その3より
世界で活躍したクリスチャン HOME