「人を分け隔てなさらない神さま」

A.分け隔てなく楽しめた卓球親睦会

 先日、小学校でPTAの卓球親睦会が行われ、父兄と先生がペアを組んだりして試合を楽しんでいました。
 スポーツとは、語源的には「気晴らしをする、遊ぶ、楽しむ」という意味です。ところが明治以来、富国強兵、殖産興業の国策を執っていた日本では、遊戯的なスポーツは公には肯定されませんでした。PTAと教職員が、互いに分け隔てなく、交わり、楽しめるレクリエーションこそ、本来のスポーツなのかもしれません。また神さまは、どんな人とも分け隔てなく交わることを求めておられます。
 ペトロは、カイサリアに到着し、異邦人であるコルネリウスと面会しました。それは、神さまがペトロに、どんな人をも清くないとか、汚れているなどと言ってはならない、と言われたからです。

B.聖書より

彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。
使徒言行録10章28節

 コルネリウスの家に招かれたペトロは、純真な気持ちで真理を聞こうとしている大勢の人たちに、どんな人間をも、清くないとか汚れているとか、言ってはならないと夢で示されたことを伝えました。
 そして、異邦人のコルネリウスが自分を招いたのは、何か訳があるのだろうと思い尋ねると、コルネリウスも祈りの中で、ペトロを招くように神さまから示されていたことを知りました。求道者と伝道者が共に祈りによって導かれて出会うとき、神さまの真理、信仰の本質が大胆に証言される場が整います。

C. “究極の悲しみに寄り添う”日本グリーフケア研究所 所長 高木慶子

 グリーフ(grief)とは、悲嘆、深い悲しみを意味する英語です。人生にはいろいろな喪失体験があります。家族を亡くしたり、健康を害して手足を失ったり、リストラに遭ったときも、グリーフ、悲嘆を経験します。グリーフはケア(配慮)をしなければ、いつまでも癒されません。カトリックのシスター高木慶子さんは、この深い悲しみに暮れる人々の心と魂のケアを長年助けてこられました。今年、日野原重明先生を名誉所長として、日本グリーフケア研究所が発足しました。
 高木さんの21年間のグリーフケア活動で、忘れられないのが、4歳の娘を亡くされた婦人でした。横断歩道で信号待ちをしている時、娘さんの手を離したとたん、娘さんは赤信号なのに道路に飛び出し目の前でオートバイにはねられ、3m飛ばされ即死してしまいました。母親はお通夜でも、真っ青な顔で泣くこともできません。二週間後、高木さんが心配して母親を訪問し、「いかがですか?」と尋ねると、母親は高木さんを見つめ、「あの子はどうしているんですか?!今、どこにいるんですか?!」と叫びました。高木さんは、母親の手を握って、「ご安心ください。ユウちゃんはね、神様のところに行ってらっしゃるのよ。本当に神様がしっかりと抱いていらっしゃる。お母様が抱いていらっしゃるのと同じように、マリア様にしっかり抱かれているから大丈夫よ」と言いました。すると母親は高木さんの手を握り締めて、「本当ですね?! 本当ですね?!」と叫び、畳に頭を擦り付けて、ものすごい勢いで泣き始めました。この母親は、涙を流すという癒しへの道を踏み出したのです。
 相手が未信者だからといって、天国に行っているかどうか分からない、などという薄っぺらな神学を高木さんは投げつけることはしません。誰にでも神の子とされ、天国に入る機会があり、真剣に道を祈り求めるとき、神さまの真理が現れます。
 無理して悲嘆を乗り越えた人は、他人に厳しくなる傾向にありますが、グリーフから癒された人は、他人に対してより優しくなれます。グリーフケアによって、更に高い段階へと人は進むことができ、優しい社会が出来上がってくるのが高木さんの狙いです。

D.結び

 誰にでも神の子とされ、天国に入る機会があります。それを求める人と伝える人が祈るとき、神さまの真理が現れるのです。
御翼2009年12月号その4より
  
世界で活躍したクリスチャン HOME