神さまの国が第一

A. 「ああ、何か生きてない感じがする」

 食中毒で入院していた7歳の百恵ちゃんは、二日も絶食で点滴台を押しながら廊下を歩いているとき、突如、「ああ、なんか今、生きてない感じがする」とお母さんに訴えかけました。
 体が不自由なとき、人は生きている気がしません。たとえ体が自由であっても、魂が抑圧されていると、人は自由に発想したり、大胆に行動したり、明るく平安でいるといった本来の生き方ができなくなります。人が神さまの子らしく生きるためには、魂が聖霊で満たされていなければならないのです。
 素晴らしい人生を実現させる聖霊に対し、人は誠実でなければならず、決して欺いてはなりません。

B.聖書より

 

すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。使徒言行録5章3節
 アナニアと妻のサフィラとは、貧しい人々に施すために土地を売りました。しかし、その代金の一部だけを使徒達のところに持ってきて、全部だと偽りました。それをペトロは見抜いて、代金をごまかしたことを指摘します。アナニアは、「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」(マタイ19:21)というイエス様の言葉を実行しているかのように見せかけ、実は人から尊敬と名誉を受けようとしていたのです。アナニアは、たちまち息が絶え、サフィラも続いて死にました。
 この世の富と安心を優先させ、神さまの国を第二とするとき、神さまの国の祝福は受けられないのです。

C. 米国人一般が持つクリスチャンへのイメージ

 クリスチャンの映画監督ダン・マーチャント氏は、全米を回りながら「1)イエス・キリストは何をしたことで有名か、2)クリスチャンの印象は何か」と、街頭インタビューをしました。インタビューの結果、キリストに対しては良い印象を持っているものの、そのイエス様に従っているべきクリスチャンたちへのイメージは、「狂信的、気取っている、特定の人々を嫌う、偽善者、戦争」などと、決して良いものばかりではないということが分りました。
 ダンはその原因は、クリスチャンの一方的なメッセージの語り方にあると分析しています。クリスチャンたちは、自分たちの信仰を純粋に表しているつもりであっても、それが未信者の人々にどんな印象を与え、どう聞こえるか配慮するのが足りないのです。クリスチャンは、キリストに従う者として、イエス様がなされたように行動することが求められているのに、つい、自分が正しいのだと主張し、議論に勝とうとしてしまいます。
 ダンは自分自身への反省も含めてこう言います。「自分の自己中心さ、忍耐のなさ、無知と傲慢さが、人々を神から遠ざけてしまう結果になった。クリスチャンとは、愛なる神を信じ、平和の君を愛し、礼拝する者である。理想の基準は、忍耐、親切、赦しであり、私たちこそ、真理と恵みに満ちた人間であるはずなのだ。そんな私たちが、なぜ他人に対し真理を押し付け、恵みを分かち合うことを怠っているのだろうか」と。
 どんな人にも、自然な形で、福音を伝える心がけが大切です。伝道のために、労力と時間を献げるときも、自分中心の思いからではなく、聞き手の魂の救いを願って行うべきなのです。

D.結び

 人から尊敬されるためではなく、人の魂を救うために、時間や労力、財産を献げましょう。評価の規準を神さまに置くときの行いには、自由さと、明るさと、力強さと、正しさとがあるのです。
御翼2009年7月号その1より


  
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