「揺るがぬ信仰」

A. 得難い経験に心から感謝しています

 牧師先生が運転室の写真を撮っていると、3人のママさんたちの一人が、不思議そうに声を掛けてきました。この春JRに入社したばかりの甥のY君が研修で中にいることを話すと、「おめでとうございます!甥っ子がんばれ〜」と声援を送ってくれたそうです。そのママさんたちの記念写真と教会のHPのアドレスをメールでお送りすると、次のような返事が来ました。
 「今日は埼京線内でぶしつけにもお声をおかけしてたいへん失礼をいたしました。・・・恐縮しつつも、得難い経験に心から感謝しています。・・・私は「家族」と「自分の心」を何より信じる人間ですが、心の折れそうなとき、元気のないときには、日々のお説教をそっと頼りにしたいと思います。ほんとうにありがとうございました。佐藤様とご家族、そしてたいせつな甥御さんに幸多かれと心から願っております。」
 牧師先生としても思いもかけず伝道の機会となり、「得がたい経験」を神さま(と甥のY君)に感謝されたのでした。
 人の目には偶然に思える出会いや出来事も、神さまのお導きです。そのような信仰的な体験と御言葉への信頼が、私たちクリスチャンの力なのです。

B.聖書より

  (19)しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。(20) わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」使徒言行録4章19〜20節
 ペトロとヨハネを裁いている議員たちは、「宣教を続けたら、ひどい目に遭わすぞ」と脅迫しました。ところが、人からの迫害はそのときだけで、神さまのみわざだけが永遠に続くことを、使徒たちは知っていました。
 大きな力を持つ者が神さまにお仕えする態度ならば、私たちは従うべきですが、御心に反する時は、神さまに従うことを私たちは選ぶべきです。この戦いは、武力によらず、霊的な剣、つまり御言葉によっての戦いです。主の栄光を表す力は、信仰により実を結んだ出来事と、御言葉に対する信頼から与えられます。

C. 『嵐の中を』

 戦前、米国から盛岡にシュレーヤ宣教師夫妻が遣わされていました。そこに住む農民の多くは、冷害による貧困、栄養失調、結核や赤痢に苦しみ、迷信が多く、健全なレクリエーションもなく、借金や貧困のため、娘達を売っていました。そこで、宣教師夫妻は、宗教教育センターを設立、保育園、幼稚園などの児童教育、保護者や幼稚園の先生の教育、貧しい農民の娘たちの教育、青年活動、職業訓練などを始めます。センター内には図書館があり、聖書、英語、ドイツ語等も教え、様々な年齢の為のレクリエーションも行われました。これは、盛岡で最初の文化的設備で、そこを訪れる人すべてに、神さまの教えと、奉仕と愛の精神が説かれたのです。
 ところが、太平洋戦争が始まって、シュレーヤ宣教師はスパイ容疑で逮捕され、165日間も独房に入れられました。その間、イザヤ54章10節「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。」の御言葉が支えとなったのです。壁に十字架とクリスマスツリーを描いて、一人クリスマスを祝うと、翌日からなぜか食事ごとにリンゴが二つずつつくようになるという信仰的な体験をしました。
 氷点下で暖房なしの独房で165日間持ち続けたシュレーヤ宣教師は、釈放され、家族と共に米国に帰されます。米国で夫妻は、日本を悪く思う聴衆に対し、「日本は米国のように平等な民主主義ではないので、上からの命令にいやでも従わなくてはならないのです。日本人はみんないい人です。戦争が終わって、私たちがまた日本へ行ったら、みんな心から歓迎してくれることを確信しています」と訴えました。終戦までの3年間、このような講演を1000回以上行い、体験を『嵐の中を』という本にまとめたのです。
 終戦後、シュレーヤ宣教師は再び来日し、一生日本にとどまって、岩手医大や短大で聖書の講義をしました。1980年5月2日、短大で講義を終えた後、急性心不全のため、一人で静かに神のもとに行きました。83歳でした。

D.結び

 人の権威よりも神さまに従うのがクリスチャンの務めです。イエス様の栄光を表す力は、信仰により実を結んだ出来事と、御言葉に対する信頼から与えられるのです。
御翼2009年6月号その2より
  
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