「神さまの恵みと力」

A. 背中合わせの席に主治医の先生

 百恵ちゃんは、食中毒で入院していた国立国際医療センターのレストランへ、久しぶりに家族で食事に行きました。注文したものを食べ始めて10分くらいした頃、ちょうど百恵ちゃんの真後ろの席に背を向けているお医者さんが、入院中お世話になった先生でした。お互いに驚いて偶然の再会を喜び合いました。
 人の目には偶然に思える出来事も、神さまの恵みとお導きです。これらの恵みと神さまの力に満たされていると、人は素晴らしい業を行えるのです。

B.聖書より

さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。 使徒言行録6章8節
 やもめたちの配給の世話役として選ばれたステファノは、イエス様の贖いの恵みと力を受けていました。そのため、人々に愛といつくしみの態度で接しながら、強さと決意とをもって、事に当たることができたのです。恵みと力を受け、あわれみと強さの両方を持ち合わせている人が、神さまを信じる者の特質です。ステファノは、神さまから力を与えられていたので、イエス様が生きて働いておられることを実証するしるしを行ないました。

C. 戦前からカリフォルニアの大自然を描きつづけた日本画家・小圃(おばた)千浦(ちうら)

 小圃千浦は、養父となって育ててくれた兄の元から14歳で家出し、1903(明治36)年、18歳で英語も知らずに渡米した日本画家です。イエス様の贖いによって罪を責めない神さまの愛を、千浦は養父に見ていました。サンフランシスコで教会に下宿し、礼拝に出てイエス様の教えを学びます。舞台美術や日本語新聞の挿し絵などを描いて生計を立てていた千浦を一躍有名にしたのが、1927年、ヨセミテ渓谷へのスケッチ旅行で描いた作品でした。日本画で描いたヨセミテの自然は絶賛され、千浦は1939年、カリフォルニア大学バークレー校で日本画の助教授となります。
 その後1941年に日米で戦争が始まり、全米で日系人11万人が敵性外国人と見なされ、強制収容所へ送られました。千浦もカリフォルニアの日系人収容所に入れられますが、「いかなる状況下にあっても、教育は食糧同様に重要だ。なかでも芸術は最も建設的な教育だと信じる」と、収容所内に美術学校を創立します。「非常時に芸術が何の役に立つのか?」と疑問を抱き、非国民よばわりし、馬鹿扱いする者すらいましたが、美術学校は500〜600名が通うまでに成長しました。内面深くに在る魂を表現する芸術の力を得て、人々は心の落ち着きを取り戻し、そのことを神に感謝している、と言う者まで現れます。イエス様を通して神さまを知った千浦が、美術教育を施すことで、戦時下の在米日本人・日系人の精神・情緒を安定させました。
 千浦は戦後、再びカリフォルニア大学に招かれ、1954年、名誉教授となり退職、その後も、日本人の人権と生活向上のために、また、日本とアメリカの関係改善に芸術を通して尽力し、日本国より瑞宝章を受賞します。1975年、千浦は90歳でサンフランシスコ地方にて天に召されました。
 千浦は、キリストの贖いという恵みを養父である兄から知り、受洗するつもりはないと言いながらも熱心に教会に通っていた時期もありました。神さまが創造されたカリフォルニアの大自然を前に、アーティストとして謙虚になっていたので、人々に対するあわれみと、この世と闘う強さを持ち合わせていたのです。

D.結び

 イエス様の贖いという恵みと、聖霊のお導きという力を受けている者は、人々に対するあわれみと強さの両方を持ち合わせています。そのような人たちは、神さまが生きて働いておられることを実証する出来事を行い、信仰によって確信するところを、知恵をもって語ることができるのです。
御翼2009年8月号その3より


  
世界で活躍したクリスチャン HOME