2017年御翼1月号号外

                                       

三笠宮崇仁(みかさのみや たかひと)親王の古代オリエント史

 昨年、昭和天皇の一番下の弟、三笠宮崇仁(みかさのみや たかひと)親王が100歳で天に召された。古代オリエント史学者だった殿下は、戦後、東京大学文学部の研究生となり、旧約聖書をよく学ばれた。そのきっかけは、陸軍の参謀(指揮官を補佐する将校)として中国・南京にいらした頃、いろいろ見聞したことにある。例えば、キリスト教の宣教師が山の奥で伝道していた。また、当時、日本軍が中国の民衆に対し、いろいろ問題を起こしたが、八路軍(中国の共産軍)の婦女子に対する軍紀が厳正であったことなどである。これらがどこから来るのだろうといつも考えていた(三笠宮は「日本軍は中華民国との戦争が長引き戦闘が泥沼状態になっており、軍紀が乱れている者が一部いる事を深く反省すべきである」と言い、対中政策のブレーキ役となった)。戦後、研究を始めると、キリスト教も、八路軍が信奉していたマルクシズムも、旧約聖書が大切だということが分かったという。マルクスはユダヤ教のラビ(律法学者)の家に生まれ、子どものときからユダヤ教のことも聞いていた。
 創世記の天地創造物語、ノアの洪水物語を見て行くと、物語の元がメソポタミア文明(今のイラク)になる。一般にノアの洪水と言われている物語は、ヘブライ語ではノアハと言い、ノアが乗った箱舟が洪水に流されて、流れ着くところがアララト山ということになっている。アララト山は、今のトルコの東の国境付近にある。好奇心に富んだ人たちが、旧約聖書の洪水物語を信じて、アララト山に登って、ノアが流れ着いた船を探そうという試みをした人がいる。これは、旧約聖書はパレスチナに住み着いたイスラエル人(ユダヤ人)が、ヘブライ語を使っていたが、そういう人たちが聞き伝えた洪水物語で、その一番元はイラクで人類最古の文明を栄えさせたシュメル人の作った洪水物語、言いかえれば、今のイラクを流れているティグリス川とユーフラテス川、ことにティグリス川が毎年洪水を出して、その悲惨な物語が、シュメル人の洪水物語になっている。そして、シュメル人の洪水物語に出てくる神の名も違うし、助かる人もノアではなくて、ジウスドラという名になっている。そのシュメルの洪水物語が、次のバビロニアとかシリアとか、いろんな民族に伝えられる。そうすると、船に乗って助かる人の名前も、山の名前もみな、その民族に分かるような名前に変わって行く。それが流れ流れて、パレスチナに行って、ノアになり、船のとまるところがアララト山になったのであって、決してノアとか、アララトというのが歴史的な実際の地名、人名ではなかったのだ。そういうところも旧約聖書を学ぶときに、その周辺の諸民族の歴史を研究する必要がある、ということではないかと思う。
(以上、NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」二〇一六年十二月二十八日より)
佐藤陽二が研究してきた聖書の正典的解釈に通じる聖書考古学とも言うべき研究を、日本の皇室である殿下もしておられたのだ。ウーリーの発掘によって、紀元前三五〇〇年ころに、ウル地方に大洪水があったことは、考古学的に証明されている。聖書は、今の形に編集された当時、編集者の手もとにあった資料を用いて、神の真理および神と人間との関係を示すためにまとめられたのであった。ノアの洪水物語もまた、信仰の本来のあるべき姿(アイデンティティ)と信仰による生き方(ライフ・スタイル)を、読者が体得するように、正典として編集されたのだった。
西洋列強でこのような聖書研究が主流とならないのは、研究すれば、聖戦を正当化できなくなるからではないだろうか。武力によらず、イエス様の言葉で勝利を勝ち取ったのは、ガンジーや江戸城無血開城を成し遂げた西郷隆盛(と勝海舟)である。このような先人に倣って、救われた魂の国、日本国を作ろう。


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