2017年御翼10月号その3

                           

ミッフィー誕生の秘密

―― 90年の生涯を終えたディック・ブルーナ
 世界50カ国以上で翻訳されている絵本「ミッフィー」のストーリーは、日常の何気ない出来事が中心である。子どもが誰でも経験するような普遍的なストーリーを描き、どの国の読者が読んでも共感できるのが大きな特徴だという。一方で、作者のブルーナ(2017年2月召天)は、ミッフィーに社会的なテーマを取り入れることもあった。「うさこちゃんとキャラメル」では、お母さんと買い物に出かけたお店で、ミッフィーがまさかの行動に出る。誰も見ていないとき、キャラメルをこっそりポケットに入れてしまう。夜は罪悪感で眠れない。次の日、お母さんと一緒にキャラメルを返して、お店の人に謝った。発表当時、「ミッフィーが万引きをした」と話題になった作品である。ドキッとするテーマではあるが、根底にはブルーナが子どもたちを見つめる優しい眼差しがあるという。
 また、物語が高く評価された作品が、「うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん」(一九九六年)で、初めて死をテーマに取り上げている。家族でおばあちゃんを墓に葬ると、ミッフィーはときどきお墓に行って、「だいすきなおばあちゃん」と呼びかける。「すると、おばあちゃんが ちゃんと きいていてくれるのが わかります」とある。この絵本が世に出ると、友達を亡くした子どもに、死をどう伝えればよいのか悩んでいたという母親から、感謝の手紙が届く。その子どもは、何度も繰り返し、絵本を読んでいたという。
 これらの作品には、罪の悔い改め、永遠の命が描かれており、ブルーナは「クリスマスって なあに」という、イエス様の降誕物語も作品にしているので、聖書の世界観に基づいてミッフィーを描き続けてきたことが分かる。
 ヒトラーは全ヨーロッパの制圧をもくろみ、ナチス・ドイツはオランダを占領、たくさんのオランダ人が捕えられ、強制労働させられていた。1943年当時16歳だったブルーナは、ナチスから逃れるため、家族と一緒にローズドレヒトに疎開する。そこは湿地帯で、多くのオランダ人が隠れ住んでいた。ブルーナは終戦までの二年間、その湖畔に家族と住んでいた。終戦間近には、隠れていた人たちの九割は捕えられた。戦争中、学校は休校状態だったため、ブルーナはありあまった自由時間を、大好きな絵を描くことに費やした。完成した絵は、バターや砂糖と物々交換できるほどの腕前だったという。戦争中、ブルーナの心の支えは、絵を描くことで、画家になるという夢を抱くこととなった。
 1945年、終戦を迎えると17歳になっていたブルーナは、画家を目指す。しかし、家業の出版社を継がせたい父親は猛反対し、ブルーナに出版社の研修を受けさせた。研修地はパリ、父に命じられてしぶしぶやってきたものの、パリは芸術の都、ブルーナは自由な時間はすべて絵を描き、美術館や画廊を巡ることに費やす。そして、友人と絵を描くために訪れていた南フランスで、ロザリオ礼拝堂を訪れると、簡潔な黒い線だけで描かれた壁画を目にする。更に、「色彩の魔術師」と呼ばれたアンリ・マティスによるステンドグラスを見て、ブルーナはハッとする。「礼拝堂のドアをあけたとき、思わず息を呑みました。極限まで『研ぎ澄まされたシンプル』がそこにはありました。まだ具体的ではありませんでしたが、何か確信のようなものが宿った瞬間だったかもしれません。『ここから、ぼくらしいものをつくりあげてみたい!』心がすっかり奪われていました」とブルーナは当時の心境を語る。ミッフィーや他のブルーナ作品を貫く、シンプルな線と色という概念が芽生えたのだった。

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