2017年御翼11月号その3

                           

ちょうどいい人生をもらいました

 沼野 尚美先生は、病院薬剤師から神戸ルーテル神学校に行き、神戸中央病院のホスピスのチャプレン(病院付き牧師)をしている。今まで9つのホスピスで勤務し、三千人以上の方々との生と死に関わってきた。専門はがん患者とその家族の精神的援助と宗教的援助である。
 ホスピスに入ると、早く死なせてください、という人がいる中、あるご婦人が入院されていたとき、愚痴一つなく、いつもと同じように生活していた。どうしてそうしていられるのか尋ねると、「わたしはちょうどいい人生をもらいました」と答えたと言う。その意味を尋ねると、「わたしはちょうどいい主人をいただけた。ちょうどいい子どもたちを私は授かった」というのだ。それは、最高の主人を伴侶として持ちました、と言っているわけではない。夫に対していろいろ思う事もあったであろう。子どもに関しても、いろいろな課題を抱えてはいた。しかし、「私にとってちょうどいい。また、ちょうどいい病気(癌)をいただいた」と言う。
 私たちは人生においていつも何かと比べてしまう。比べながら、「どうして私はこうなの?」と卑下してしまう。自分が恵まれていることよりも、自分が足りないところを数え上げて不満を持つ。そうではなく、このご婦人は病気になる前から、自分の人生を何かと比べるのではなく、自分にとってちょうどよいサイズであって、自分にとって十分に感謝できるものであるという生き方をして来られたからこそ、病の最期の日々に、こういうことを言えるようになったのだ。
 自分の不平不満を数え上げて生きるか、それとも、ちょうどいい自分の人生を感謝するのか、その二つの生き方が、最期の日々の生き方につながっていく。そして、その人が前向きに感謝して生きる姿は、その当時関わった医者や看護師に大きな影響を与える。愚痴をもって生きる人とお付き合いすることは、病院のスタッフにとってもしんどいことである。自分の人生に満足するという行為は、人生を掛けた大きな作業なのだ。
 NHKラジオ第二 宗教の時間「生きる力を支えるもの」沼野尚美 2017年10月1日放送

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