2017年御翼12月号その2

                           

クリスチャン詩人―― 八木重吉

 八木重吉(やぎじゅうきち)(1898-1927)は、詩人、英語科教師で、戦後にクリスチャン詩人としての評価が高まった人である。大正6年、東京高等師範学校(筑波大学の前身)に入学した八木重吉は、クリスチャンの同級生の影響で聖書を読み始め、キリストの人格に惹かれて洗礼を受けた。重吉は肺結核のため、29歳で召天するが、病床においてキリストへの信頼を深め、恵みと平和が増し、平安と希望に満ちた詩を数多く書き残した(彼のことを、クリスチャンの間であまり知られていないのは、受洗後約二カ月で、「教会は生ぬるい」と教会から遠ざかったからであろう。後に病床で、重吉は教会を離れたことを、洗礼を授けた牧師に深く詫びている)。
 多くの人は、聖書にある奇跡を読むと、聖書を拒絶する。重吉にも疑問や迷いはあった。しかし、重吉は聖書の中心であるキリストに焦点をあてた。彼にとって聖書を読むとは、イエスの言行、イエス自身に触れることだった。重吉は親戚に以下のような手紙を送っている。「私はいろいろと経てきた後、死と生の問題におびえました。また善と悪の問題に迷いました。しかるに遂に…一人の人に逢いました。私はまずその人の言葉と行ないに完全なる善を感じました。人間わざでない完全なる善を感じました。…そして何とも云えぬ美しい魂のひらめき、崇高なる魂の魅力、それをその人に感じました。それこそ自分の長い間さがしていた者だと信じました、この人の言うことをきけば、この人間の世に生くる根本的な考えが分かるとおもいました。そしてほんのわずかずつその人の言ったことをやってみるとなんのことはない、霧が少しずつはれるように、私の生活は少しずつ明かるく、しつかりと血色がよくなって来ました。…私は、イエスほどの行ないをなし、あれほどの言葉を言った者が嘘をいうはずはないと信じます」と。重吉は魂でキリストの十字架の贖いが真実であると受け止めたのだった。
 八木重吉の詩は、聖書の死生観なしには書けない、魂と心への訴えがある。クリスチャンの詩人・星野富弘さんは、重吉を師として仰いでいる。富弘さんは、怪我をして全身麻痺となった時、重吉の詩を思い出したという。

ああちゃん!
むやみと はらっぱをあるきながら
ああちゃん、 と よんでみた、
こひびとの名でもない
ははの名でもない
だれのでもない

「神を知らない者が、人間の力ではどうにもならない窮地に陥った時、誰の名を呼んで助けを求めたらよいのでしょう。『ああちゃん』の詩に、その答えが隠されているような気がしました。あの詩を書いた人も、きっと大きな苦しみを経た人に違いないと思いました」と富弘さんは、求道中の気持ちを述懐する。そして、その八木重吉の詩の優しい言葉が、堅くなっている心をほぐしてくれ、それはまるで「器械体操をやっていた時の、試合前の柔軟運動みたいです」と富弘さんは言う。

『重吉と旅する。』(いのちのことば社)
関 茂『八木重吉 詩と生涯と信仰』(新教出版社)
八木重吉『貧しき信徒』(新教出版社)より

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