2017年御翼5月号その1

                           

聖霊と祈り― アンドリュー・マーレー『祈りの生活』

 教会の中に祈りの少ないことは、何という言い表せない苦痛を聖霊に与える原因であろうか。祈らないことは、聖霊の導きを受けようとしないことだからである。
祈りに対する教えの第一は、聖霊の導きに自分をすべてゆだねることである。なぜならば、聖霊を通して祈ることで、初めて私たちの祈りは想像もできない価値を持つことになるからである。また、聖霊を通してだけ私たちの願いをキリストの名によって言い表すことを学ぶことができるからである。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」ローマの信徒への手紙8章26節(新改訳)
 神の子の霊すなわち聖霊が私たちのうちにいますことを、神聖な事実として堅く信じよう。自分が祈るたびに御霊が内にあって祈りを教えてくださることを、神に感謝しよう。感謝は私たちの心を神にまで導き、私たちを神に結びつけるだろう。
ああ、私たちが祈りを怠け、祈りを耐えられない重荷と感じたことに何の不思議もない。父なる神と子なる神とを啓示する御霊を離れて、永遠の神との交わりだけを求めたからである。神よ、聖霊の働きを考えることが私たちに喜びとなり、信仰を強めることとならせてください!

アンドリュー・マーレー
『祈りの生活』(いのちのことば社)より

マザー・テレサにある記者が尋ねた。「マザー、あなたは祈りの中で神に何を言うのですか」と。マザーは答えた。「何も言いません。ただ御声に耳を傾けるのです」と。困った記者は、「それでは、神はなんと言われるのですか?」と尋ねると、「神は何も語られません。ただ私の思いに耳を傾けられるのです。その意味が分からなければ、説明する必要もないでしょう」とマザーは言ったという。これは、聖霊の働きによって、私たちの魂が謙遜になったとき、聖霊が何を祈るべきか教えてくださる、そしてその祈りは、御心に沿ったものなのだ、ということを言っている

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