2017年御翼6月号その2

                           

学歴や職歴よりも「苦歴」が大切――渡辺和子シスター

 「履歴書を書かされる時、必ずといっていいほど学歴と職歴が要求されます。しかしながら、もっとたいせつなのは、書くに書けない『苦歴』とでもいったものではないでしょうか」と言うのは、二・二六事件で父親(陸軍教育総監・渡辺錠太郎(じょうたろう)を亡くした渡辺和子シスターである。事件当時、九歳だった渡辺シスターは、父が亡くなったということ自体は、悲しくはなかったという。その理由は、自分が家族の中で唯一、父の最期を見届けており、最期まで父が自分のことを案じていたことが、父らしかったと感じていたからであろう、と渡辺さんは言う。そして、有難いことに、父は一人も殺すことはなかった。即ち、「自分の兵を殺さなかったという意味では、父は喜んでいるのではないでしょうか」、と渡辺さんは言っていた。更に、自分の父親が、クーデターを計画して部下を見捨てるような、上層部にいた人ではなかったことを感謝できるようになった。
 そのときは悲しいと思っても、時間が経って全体を見ると、その出来事にも感謝すべきことがあり、むしろ恵みなのだと思えるときがくる。その後、ノートルダム清心女子大学の学長となった渡辺シスターは、「教育の根本は技術でもなく、知識でもない。愛なしに教育は存在しない。『心』と『愛』は、教育に不可欠なもの」だという。「もしも子どもたちが知識と技術だけで育つのなら、現場の教師よりも、優れた教育機器、視聴覚教材、百科事典のたぐいで事足りるでしょう。ところが、これらのものがいかに精巧にできていても、子どもたちに与えることができないもの、そしてそれなしには、人間は人間らしく育たないものがあります。それを『心』と言うのです。…『今日の世界の最悪の病気は、結核でもハンセン病でもありません。それは、〝自分はこの世にいてもいなくてもいい〟と感じる精神的貧困と孤独です』ノーベル平和賞を受賞した際、新聞に報道されたマザー・テレサの言葉は、医学の限界を示すとともに、人間の心のみが癒すことのできる分野を指し示すものでした。巨億を費やしても、いかに優秀な頭脳を集めても、研究所で決して合成することのできない薬、人の心の淋しさを癒やし、人に生きる勇気を与える薬、それは『愛』と呼ばれます」と、著書『愛をこめて生きる』で記している。誠実な教師からの愛情のこもったメッセージは、子どもたちに生きる勇気を与えるのだ。
 渡辺和子シスターは、著書『どんな時でも人は笑顔になれる』の中で以下のように言っている。「二月の一番寒い日に、北海道で生まれたからでしょうか。私は、すべてを浄化するような冬の寒さが好きです。同じ二月、雪が降り積もって、大地を純白に覆った日、私の父は血を一杯流して死にました。とても寒い朝でした。いつの間にか冬は、私にとってたいせつな季節になってしまいました。…私にも、いろいろな『冬』がありました。…学歴とか職歴は他の人と同じものを書くことができても、苦歴は、その人だけのものであり、したがって、その人を語るもっとも雄弁なものではないかと思うのです。文字に表わすことのできない苦しみの一つ一つは、乗り越えられることによって、その人のかけがえのない業績となるのです。」  
 学歴や職歴よりもたいせつなのは、「苦歴」。これまで乗り越えてきた数々の苦しみ。気がつけば、それらは経験という宝になっている。

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