2017年御翼8月号その4

                           

内村鑑三「商売成功の秘訣」と、破産宣告した佐藤儀四郎

 商売成功の秘訣 1909(明治42)年1月 
内村鑑三全集16より抜粋
 商売成功の秘訣とて別にありません、すべての高貴なる事業の成功の秘訣と少しも異なりません、誠実に之を実行することであります、即ち成功を度外視して商売に従事する事であります、爾(そ)うすれば成功するものならば真正に成功します、失敗しまするものならば立派に失敗します、成功必しも名誉ではありません、失敗必しも恥辱ではありません、卑しき手段を以て為したる成功は恥辱であります、潔き手段を以て取つたる失敗は名誉であります。
 世には金を溜めんと欲する人が饒(あま)多(た)あります、然し是れ望んで出来ない事であります、金を溜めんと欲して金は溜まる者ではありません、金が若(も)し溜まりまするならば自然に溜まるものであります、溜める金は無理に溜める金であります、それは溜めたのでなくつて盗んだのであります、金を溜めたとは申すものゝ実は災害を我と我家とに積んだのであります。
 之に反して溜まつた金は自然に溜まつた金であります、為すべき事を為して溜つた金であります、之れは正直なる労働の報酬として天が降したものであります、故に感謝して受くべきもの、又受けて何の危険もないものであります、今の人の大抵は商売は戦争の一種であるやうに思ひ、機に乗じて計略を運(めぐ)らし、狡猾(こす)く、機敏(すばしこ)く出でなければ成功は望めないやうに思ふて居ります、然し是れ大なる間違であります、商売は正業であります、戦争ではありません、戦争は他を殪(たお)して成功するものであります、然し商売はすべて他の正業と同じく他を益して己も益する者であります、
 商売成功の秘訣は志士(しし)仁人(じんじん)(=道や学問に志を持つ人と、徳のある人)の心を以て此業に従事する事であります、米国の大統領リンコルンの申しましたやうに「何人に対しても敵意を挾(はさ)むことなく万人に対して善意を懐(いだ)いて」 此正業に従事する事であります、それで成功が来ないものならば成功を求めません、然しそれで成功の来ない筈は無いと信じます、

佐藤陽二の祖父、佐藤儀四郎[1877(明治10)年~1948(昭和23)年]は、かつてチェインスモーカーだったが、内村鑑三の講演会に行った際、内村が「この中に、自分の鼻を煙突にしている者がいる」と言った。それを聞いた儀四郎は、内村鑑三に関心を持ち、それがきっかけでキリスト教を学び、クリスチャンとなる。そして、信仰をもって、昭和3年、福島県で初めての自動車教習所―福嶋自動車学校―を開き、路面電車、乗合バス、製糸工場を経営していた。「お前たちは、仕事をやろうとすると、すぐ金が必要だという。どんなことであろうと、その仕事が大事な仕事であり、皆さんのためになる仕事であるならば、それにかかることが先決なのだ。もし必要な事業だったならば、必要な経費などというものは、あとから出てくるものなのだ」と言っていた佐藤儀四郎の経営方針は、キリスト教の精神に基づく。
昭和6年、日本が満州事変を境として、戦争へと突入する。生徒の徴兵、ガソリンの統制などで学校運営にも支障が出て、昭和12年に福嶋自動車学校はやむなく閉校となる。また、世界大恐慌のあおりで銀行が倒産、儀四郎も破産宣告をせざるを得なくなる。そして、佐藤陽二は、海軍兵学校75期(昭和18年入校)であったが、73期、74期と不合格となっていた。「家が破産している者は、海軍将校にはなれない」との理由で落とされていたことが判明すると、三本杉という比較的裕福で男の子のいない親戚の家の養子となり、三回目に受験した75期でようやく兵学校の生徒となれた。兵学校73期、74期までが実際に戦地に赴き、三分の一から半数の卒業生が戦死している。75期以降は、卒業前に敗戦となり、戦場に行くことはなかった。家が破産していた為、父は戦後の命が与えられ、牧師になったのだった。
孫と曾孫が牧師となった佐藤儀四郎の事業は、真に成功したのであり、立派な失敗でもあった。「金」というこの世的なものを優先させることなく、神の約束を信じ、後世にまで及ぶ祝福を得よう。

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