2018年御翼10月号その1

                       

終戦内閣―― 鈴木貫太郎総理大臣

 昭和20年、日本の主要都市が焼きつくされ、太平洋戦争が最終局面を迎えていた。昭和天皇は太平洋戦争を終わらせるために、鈴木貫太郎(兵学校14期)を内閣総理大臣に任命する。鈴木貫太郎が連合艦隊司令長官をしていた大正13年頃、昭和天皇は、鈴木が指揮する海軍の大演習を何度か視察している。つまり、昭和天皇は鈴木大将の船に乗られていた。そして鈴木の指揮ぶり、統率力を見ておられた。昭和天皇は、鈴木ならば戦争を終わらせてくれるはずだと、信頼を寄せた。
 鈴木は、陸軍大臣に自分が信頼できる阿南(あなみ)惟幾(これちか)を起用しようとする。すると陸軍省は、その条件として、「戦争の遂行、本土決戦必勝のため、陸軍の策を実行すること」を挙げてきた。その条件を鈴木は、「まことに結構なり」と、戦争継続を前提とする条件を、あっさりと飲んでしまう。鈴木には、どうしても阿南(あなみ)を陸軍大臣にしたかった理由があった。それは、阿南(あなみ)なら陸軍のクーデターを抑え込んでくれるかもしれないと期待していたからである。
 鈴木貫太郎は、終戦に向けて動き出すと、再び陸軍がクーデターを起こし、戦争を継続させようとすることを、非常に警戒していた。それは、自らが二・二六事件に遭遇しているからである。その日、青年将校らが鈴木邸に押し寄せてくるとき、鈴木は納戸に置いてあった日本刀を捜した。ところがその四日前に、妻が風呂敷に包んで仕舞い込んだため、鈴木は刀を見つけられずにいた。そこへ反乱軍が押し寄せ、鈴木に四発の銃弾を撃ち込み、とどめを刺そうとした。そのとき、夫人のタカ(タカの父親は札幌農学校第2期生のクリスチャン)が、「とどめだけは待ってください」と申し出た。それで命拾いした鈴木であったが、あのとき、日本刀を持っていたら、間違いなく殺害されていたであろう。こういったところも、神の摂理なのだ。
 阿南陸軍大臣は、表向きには戦争継続の姿勢を見せていたが、実は終戦を望んでいた。初めから終戦への動きを見せると、再び陸軍によるクーデターが起こりかねなかった。鈴木が阿南(あなみ)を陸軍大臣に起用した思いは伝わっており、阿南(あなみ)は天皇陛下による終戦の決意を受け入れ、陸軍省の将校らを納得させた。
 昭和23年4月、鈴木が患っていた病が悪化、81歳で天に召された。死の間際鈴木はこんな言葉を遺している。「永遠の平和、永遠の平和」。これは永遠の命に由来する言葉だと私は受け止めている。兵学校14期であれば、兵学校でも聖書を教えていた時代であり、鈴木貫太郎大将も、キリストへの信仰に触れているはずである。

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