2018年御翼10月号その4

                       

日本の仏教や神道を、キリストの真理を受け入れる基盤とする

 宗教学者・東京大学名誉教授でクリスチャンの金井信二先生は、著書『現代宗教への問い』の中で、「日本のキリスト教は何故伸びないのですか」という疑問に対し、「日本人のキリスト教」を自ら作って行かなければならないと言う。
 例えば、仏教が日本に定着したのは、鎌倉時代のことであるが、当時、仏教者たちは、本地垂迹(すいじゃく)という思想を盛んに説いた。「それは、日本古来の神道は真の宗教(本地)である仏教が到来するまでの、不十分ではあるが真理を含む準備(垂迹)であったというものである。こう言うことによって、仏教の異質性は緩和され、日本文化の文脈の中に外来宗教である仏教を移植したのだ。
 日本のキリスト教がこのような神学を生まなかったとすれば、そこには、何か驚くべき対象認識の甘さ、対象軽視、驚くべき知的怠慢があったのではなかろうか。実際、そのような神学はあったのであるが、その時の日本的キリスト教は反西洋主義の軍国主義イデオロギーの宣伝の役目も同時に果たしてしまったのであった。それは実に不幸な歴史のいたずらだったと思わざるを得ない。その結果、現在まで、何(なに)程(ほど)かの民族主義をキリスト教と結び付けることはすべてタブーとなってしまったからである。
 パウロと新約聖書の全体もまた、まぎれもない一種の本地垂迹説で貫かれている。パウロは、(異邦人に対し)「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」(使徒17・23)と言った。日本のキリスト教はまだ「翻訳文化」の段階、つまり奈良仏教の段階にあるのだろうか。少なくとも、日本のクリスチャンたちがキリスト教を良い意味で「日本化」するという巨大な歴史的課題の前に立っていることだけは確かであると思われるのである。(一九九二年)」
金井信二『現代宗教への問い』(教文館)より

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