2018年御翼12月号その4

                           

死すべき時

 大正3年2月10日『聖書之研究』一六三号 内村鑑三全集 pp.270-272(抜粋)
 天(あま)が下の万(よろづ)の事に時あり、生まるゝに時あり、死(しぬ)るに時ありと云ふ(伝道之書二章一、二節)、然らば信者の死すべき時とは如何(いか)なる時である乎(か)。信者は必しも長寿を保つべきではない、死は彼に取りては神の呪詛(のろひ)ではない、彼に死すべき時がある、其時が来れば彼は感謝して死すべきである。

 信者は神の僕(しもべ)である、主人より特殊(とくしゅ)の要務(ようむ)を委(ゆだ)ねられたる者である、故に彼は此要務を果たすまでは死すべきでない、而(しか)して彼は其時までは決して死(しな)ないのである、リビングストンの言ひし
我等は天職を終るまでは不滅なるが如し
との言は信者の確信である、
…僕(しもべ)は主人の用を果(はた)せば夫(そ)れで去つて可(よ)いのである 彼は心に言ふべきである、我は長く生きんことを欲せず、我は唯(ただ)我主の用を為さんと欲すと。

 信者は神の僕(しもべ)であると同時にまた神の愛子(いとしご)である 故に神は彼が成熟(せいじゅく)して天国の市民たるの資格を具(そな)ふるまでは彼を此世より召し給はないのである、…然りと雖(いえど)も信者は自身で劃然(かくぜん)と彼の死期を定むることは出来ない、彼は果して彼の天職を成就(なしとげ)しや否なや、又彼は果して天国に入るの準備を完成(まっとう)せしや否やを確定することは出来ない、然し乍(なが)ら彼は神は愛なりと信ずる、彼は今日までの彼の実験に於て、彼の生涯の全く愛なる神の摂理に由て形成(けいせい)せられし者なるを信ず、故に彼は彼の生涯の結末に於て神が彼を運命の潮流に委棄(いき)し給はざるを信ず、即(すなわ)ち、彼は彼の神が死すべき時に彼をして死なしめ給ふ事を信ず、

 …故に信者は安心して死に対すべきである、必しも生を求めず又必しも死を願はず、生くるも主のため、死するも主のためである、死すべき時に死するは大なる恩恵である、若し徒(いたず)らに生を希(ねが)ふて死すべき時に死なざれば不幸是より大なるはない、死すべき時に遇ふの死は光明に入るの門である、死は最大の不幸なりと謂(い)ふは信者の謂ふべき事ではない、彼は唯死すべき時に死なんことを求(ねが)ふのである、其時よりも早からず其時よりも遅からず。

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