2018年御翼3月号その3

                           

『神道と日本人』―― 葉室賴昭(はむろよりあき)氏

 「晴れ着」とあるが、神道ではハレとケという言葉を使う。ハレとは、めでたい状況、あらたまった特別な状況を意味する。つまり、お祭りや年中行事(宮参り、七五三、成年式、結婚式、正月、盆)などを行う特別な日、非日常という意味がある。それに対し、「ケ」は普段の生活、日常という意味がある。漢字で書くと「褻」であり、これは「けがれる」とも読み、意味は「晴れでないこと」「普段着」「けがれる」などがある。結婚式などのおめでたい席で「このハレの日に…」という挨拶がある。雨が降っていても「ハレの日」と言うのは、お天気の「晴れ」のことではなく、めでたい状況を言う。「人生の晴れ舞台」や「晴れ姿」などの使い方もある。
 それでは、天気の「晴れ」は、この「めでたい状況、特別な状況」とは無関係なのかといえば、やはり通じるものがある。天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代(1603~1868年)の記録では、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさした節目の日のみ「晴れ」と記していた。雨続きが終わった特別な日ということなのであろう。
 そして、ヘブライ語にも、ハレ、ケという言葉があり、ハレの意味は栄光で、ケの意味は俗である。つまり、日本語で神道の「ハレ」は「めでたい状況」…ヘブライ語の「ハレ」の意味は「栄光」である。ハレルヤは、神を賛美せよ、という意味であるが、詩編146-150編では、頌栄(栄光を神に帰する)として使われている。ハレルは、賛美せよ、であり、ヤは神を表わす。(「ヤ」は、旧約での神の固有名詞ヤハウェの略と言われてきたが、実際、ヤハウェだったかどうかは確かではないので、カトリックではヤハウェは使わなくなった。)
 日本語では、「ヤ」と言えば、神に関連する言葉が数多くある。神社のことは古くから「やしろ」と言うが、ヘブライ語の「ハヤシロ(神の器)に似ている。ヤマ(山)をヘブライ語では、神がおられる所という意味があるという。「ヤーレン ソーラン」は「神が答えてくださった。見てください」の意味で、「ヨイショ」は「ヤハウェが助けてくださる」だという。
 大切なことは、日本人の土台には神の前における謙遜な信仰があって、そのうえで国を治めてきた。ところが今、日本の国は、先祖が代々伝えてきた素晴らしい伝統が忘れ去られ、まったく行われていない状態になってしまった。ただ政治、経済、科学といった、表面的なことだけで問題を解決しようとする。そう嘆いておられるのは、『神道と日本人』の著者で、大阪市大野外科病院長で医学博士、そして春日大社宮司の葉室賴昭氏である。
 葉室氏は、日本語にもともとあった意味が、漢字を使う事によって分からなくなっているともいう。日本語には、アイウエオの一音ずつに意味がある。もともと日本に文字があったかどうかわからないと氏は言われるが、そこに、漢字が入ってきて、しゃべっていた日本語に漢字をあてはめていった。そして時代が経つにつれて、元々の日本語の意味を日本人自身が忘れてしまって、本来の意味が分からなくなってしまった。
 例えば、「おいる」というのは、「老人」の「老」をイメージすると、よぼよぼになるように見える。しかし、「お」は丁寧語(お茶碗、お菓子の「お」)で、「い」は命である。「る」は「くる」とか「する」の「る」で、続くという意味である。従って、「おいる」というのは、命をずっと続けてきた素晴らしいお方、という意味なのだ。よぼよぼという意味は、かけらも含まれていない。
「はたらく」は、労働の「働く」という漢字を使うので、本当の意味が分からない。これは、「はた」と「らく」という日本語なのだ。すなわち、「はた」は周囲のこと、「らく」は楽しむという意味であるから、周囲の人を喜ばせる、これが日本人の「はたらく」という意味なのだ。
 「戦後の日本人は、祖先が伝えてきた生活の知恵を捨ててしまい、民主主義とか自由とかいうことをはきちがえて利己主義の人が多くなり、自分の目先の利益だけ考え、他人のことや、まして日本の国のことなど全く考えないようになりました。しかし我々日本人の遺伝子の中には、祖先から伝えられてきた歴史の記憶が入っておりますから、現在でも日本人ほど相手のことを考える民族は、世界のどこにもいないと思います」と氏は言う。そして、神道の祭りに見られる、「神さまをひたすらお喜ばせし、生かされていることに感謝する心」は、日本人が持っている素晴らしい生活の知恵である。
 神道は、神の御前における基本姿勢がある。その謙遜さの上に、キリストの十字架の恵みを受け入れ、明るく生きて行こう。

 御翼一覧  HOME