2018年御翼イースター号

                           

オールド・シェップの真意

 エルヴィスが、10歳のとき初めて大勢の前で歌ったのが、カントリー&ウェスタン系のバラード、「オールド・シェップ (Old Shep 親しきシェパード犬)」である。

 オールド・シェップ 
僕がまだ子どもの頃 シェップも子犬で
一緒に丘や野原を歩き回った 僕と犬だけ 
一緒にいれば楽しかった こうして僕たちは共に育った

古い池でのことはよく覚えてる 僕は本当におぼれそうになった でもシェップがそこにいて 僕を助けてくれた
池に飛び込んで 救ってくれたんだ

月日はあっという間に流れ
シェップは年老いて 彼の目は見えなくなっていった
ある日お医者さんが僕を見てこう言った
「もう君の犬にしてやれることは何もない」と

僕は震える手で 銃を取り 従順なシェップの頭に狙いをつけた
でも僕にはできなかった 逃げ出したかった 
誰か、代わりに僕を撃って

彼はそばにきて 僕を見上げた 
そして老いた頭を僕の膝の上にのせた
僕は人生で最良の友を あやうく撃ってしまうところだった
涙が出てきて、何も見えなくなった

オールド・シェップは逝ってしまった 良い犬たちが行く所へ
もうシェップと一緒に遊ぶこともできない
でも、もし犬にも天国があるのなら これだけは言える
シェップはそこで楽しく暮らしていると

 この歌全体が、全人類を救うために命を捧げたキリストと、神と人間との関係を表わしていると受け止めることができる。人は、神に愛され、神と共に、エデンの園(神の国)で神に愛され暮らすように、神によって創られた。ところが、人間は、与えられた自由意志をもって、勝手な生き方をして、人生に溺れる。そんな人間をも神は変わらず愛し、救い主をこの世に送られた。救い主は、自らの命を十字架上で捧げて、贖いの道を備えられる。それにもかかわらず、人はまた神を忘れ、自己中心に生きようとする。「あやうく撃ってしまうところだった」は、救い主を裏切ってしまった後悔の念を表わす。そんなとき人は、自分など生きている価値はない、「誰か僕を撃って」と思うものである。
 それでも救い主は、人を見離さず、寄り添ってくださる。そのことをエルヴィスは象徴的に、「He came to my side(犬は僕に寄ってきた)」と歌う。オリジナルの歌詞は、「I went to his side(僕は犬のところに行った)」となっているにもかかわらず、エルヴィスは、犬の方から近寄って来た、と歌う。エルヴィスは、救い主の姿をストレートに表わし、ゴスペルのように歌えるよう、歌詞を書き替えていたのである。
 「人生で最良の友」とは、命を捧げても人から裏切られ、なおも人に寄り添う救い主、イエス・キリストに他ならない。その主イエスは、全能なる神によって復活させられ、先に天に昇り、私たちのために場所を用意してくださっている(ヨハネによる福音書14章2節「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか」)。「オールド・シェップ」は、ペットを失った多くの者たちを慰めてきた。しかし、聖書では、人間を羊にたとえ、命をかけて羊を守る救い主を、羊飼い(シェパード)にたとえている。エルヴィスは、限りない神の愛を現わした救い主、イエス様への思いを込めて歌ったのである。
 人間が罪を犯したので、自然界も秩序を失い、動物たちも不完全なものとなり、死ぬことになった。しかし、イエス様の贖いによって、天地の秩序は回復し、生き物もすべて天国に行けると信じよう。旧約のイザヤ書11・6~9には、天国ですべての生き物が平和に暮らす様子が描かれている。「(6)狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。…(9)わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない」。死も悲しみもない天国では、ペットと再会できることに希望を持とう

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