2018年御翼9月号その3

                           

広島流川(ながれかわ)教会の谷本清牧師と娘・近藤紘子さん

 広島の爆心地から八百m地点にあった広島流川(ながれかわ)教会は、原爆により瓦礫となり、教会員の七~八割が原爆で亡くなっていた。敗戦の翌年、屋根のない会堂で礼拝を再会した谷本清牧師は、ひどい火傷を負った少女たちに出会う。また、学童疎開で市街地を離れていた多くの子どもたちが、原爆で両親や親せきを失っていた。しかし、占領下の国内では被害の実態は知らされず、被爆者救済も十分に行われていなかった。戦前、米国の大学院に留学していた谷本牧師は米国に渡り、広島の窮状を訴え、支援を求める講演会を開く。「アメリカが落とした原爆によって、このようになった、ということを知らせなければならない」と。すると流川教会には、米国の人々から支援物資が届けられるようになった。
 谷本牧師の娘・近藤紘子さん(現在・牧師夫人)は、教会に集う若い女性たちに可愛がられて育った。そのお姉さんたちは酷い火傷を負い、結婚をあきらめた人もいた。紘子さんは、優しいお姉さんたちをそんなひどい目に合わせたのが原爆だったと知り、「子供心に、B-29エノラ・ゲイに乗っていた人を探して、パンチしたり、蹴ったり、噛んだりしてやろう。爆弾を落とした人間は悪い奴で、自分は正しい人間だ」と思ったという。
 リベンジの機会は意外にも早く訪れる。父・谷本牧師は戦後、ケロイドを負った少女たち(原爆乙女)の治療活動に邁進し、原爆孤児のための「精神養子縁組」の運動も始めていた。それが米国のマスコミに取り上げられ、テレビに出演した。そこに、谷本牧師へのサプライズとして、テレビ局が妻サチさんと紘子さんら子どもたちを番組に招待した。すると、スーツを着た大柄な白人男性が登場する。彼の名はロバート・ルイス、広島に原爆を落としたB-29エノラ・ゲイの副操縦士である。番組のハイライトは、原爆を体験し、被爆者の救済活動をする牧師と、原爆を投下した飛行士の対面であった。当時10歳だった紘子さんは、「こいつだ、仇討ちをしようと思っていた相手が、ここにいる!」と思い、ルイス氏をにらみつける。やがてその「悪い人」は、ぽつり、ぽつりと語り出した。「原爆を落とした広島を上空から見ると広島が消えていた。そのとき、My, God. What have we done?(神さま、私たちは何ということをしたのでしょう)と飛行日誌に記した」と語る彼の目から涙があふれていた。
 「彼の涙を見たときに、10歳の私は衝撃を受けました。何でこの人をずっと憎んでいたのか。自分にだって悪い心がある。親の言うことをきかなかったり、弟と取っ組み合いのけんかをしたりと。私は彼の傍に行き、そっと手を繋ぎました。大きく、あたたかい手でした」と紘子さんは言う。番組の最後にルイス氏は、「私の会社と家族からです」と言って、原爆乙女治療への寄付の小切手を、谷本牧師に手渡した。その後、ルイス大尉は、番組放送後ペンタゴン(国防総省)に呼び出された。彼の発した「神よ、私たちは何ということをしてしまったのか」という言葉は、アメリカが間違いを犯したことを認めてしまう発言であると責められた。それに対し、彼はこう反論した。「ただ人間として感じたことを言っただけです。人間であることがいけないのですか?」と言い残し、そのまま帰った。ルイス大尉は、一九八三年に亡くなるが、その頃は精神病院に通う日々だった。
 アメリカへの憎悪を募らせ、被爆者であることを理由とする数々の苦難を体験した紘子さんが、「憎しみの連鎖」を断ち切るきっかけをつくったのは、牧師である父親が米国に行き、広島の窮状を訴え、支援を求めたことであった。

近藤紘子『ヒロシマ、60年の記憶』(リヨン社)
こころの時代~宗教・人生~アンコール「人から人へ」近藤紘子 2018.8.5 Eテレ

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