2018年御翼9月号その4

                       

『隠された十字架』のことを思い出す

 店で法隆寺の五重塔の模型を見たとき、40年ぶりに思い出したことがある。それは、都立戸山高校の古文の国広先生が、「梅原 猛の『隠された十字架―法隆寺論』を読んでみなさい。論文とはこのように書くものなのだと分かるから」と授業中に言われたことであった。(梅原 猛=日本の哲学者。京都大学文学部哲学科卒)。梅原氏は、法隆寺は聖徳太子一族の鎮魂の寺院と位置付けている。聖徳太子とは、彼の功績を称える人々が後世になり彼に贈った名前であり、本名は「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」なのだ。そして、梅原猛『隠された十字架』の中で日本書紀を引用し、「厩戸で生まれたのはイエス・キリストの誕生を思わせる。ここにキリストへの連想を指摘する人もある」と記している(厩戸=元は家畜を飼う小屋のこと)。
 法隆寺の夢殿にある「救世(くぜ)観音(かんのん)」について、梅原氏は有ることを指摘する。それは、救世観音の後頭部には、光背(こうはい=仏像の後ろにつける、後光を表現する装飾)が直接、太い釘で打ちつけられているということである。釘を打つのは呪いの行為であり、殺意の表現である。「いったい、こともあろうに仏像の頭の真ん中に釘をうつというようなことがあろうか」と梅原氏は記している。しかも救世観音は、十字架から下ろされたキリストのように布に包まれ、何百年も秘仏(信仰上の理由から非公開)とされてきた。救世観音一般に聖徳太子の姿を模したといわれているが、救世観音とは『メシア』そのものを示し、観音像は、十字架に釘付けとなって処刑されたキリストの姿を仏像で置き換えている、と受け止めることができる。
 そして、五重塔は、釈迦(紀元前5世紀頃のインドの人物、仏教の開祖)の遺骨を中心柱の下に埋めるものであるが、大正時代の修理のときに仏舎利(ぶっしゃり)容器の中には、金や銀製の容器や、真珠や水晶などが発見された。ところが、隅の柱の下には、火葬された人骨が発見され、「ここに釈迦の骨ではなく、別の人間の骨を安置することが必要であったことはたしかである。…その舎利(遺骨)は、表面は釈迦の骨に見せかけて、その実、別の、つまり太子一族の舎利を意味しているのではないかということを見た」と梅原氏は書いている(三三七頁)。
 また、法隆寺の五重塔の中には、粘土で造られた無数の像(殆どが国宝と重要文化財)があり、それは釈迦(実は聖徳太子)の死を嘆き悲しむ弟子たちから、復活までを表わしている。これは、「塔のもっている死の性格を、生の性格に変質させようとする意味をもっているのであろう」と梅原氏は言う(三三八頁)。そして、塔の勾欄(こうらん)(柵)は、卍(まんじ)くずしとなっている。卍は十字架であるから、法隆寺の五重塔は、キリストの十字架の死と復活の信仰を表わしていると、状況証拠から私は断定している。表向きは聖徳太子一族を祭った法隆寺は、キリストの十字架の死と復活を題材とした古代日本のキリスト教会なのだ。
 リサイクル屋で法隆寺の五重塔の模型を見つけ、『隠された十字架』を思い起こさせてくださったのは、神の時である。

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