2019年御翼10月号その2

                           

悟りと救い ―― 藤井圭子医師・伝道師

 小児科医で伝道師の藤井圭子さんは、元尼僧(にそう)であった。藤井さんが中学三年のとき、隣に住んでいたお婆さんが亡くなった。すると、葬式の翌日には、街の人たちはお婆さんを忘れたかのように、いつもの生活を始めた。そのとき、「人の命はなんて儚(はかな)いのだ」と思った。それから、藤井さんは生きる理由や真理を追求し始め、キリスト教、仏教、その他の書籍を読みあさり、「悟りの宗教」と言われる仏教にのめり込む。
 藤井さんは広島大学医学部に進学し、同時に佛教大学の通信学生として仏教学を学ぶ。しかし、勉強だけでは真理が分からないと、医学部卒業後、京都の寺に出家して尼僧になった。そして喜んで戒律生活に従うが、間もなく、日本の仏教および仏教界の現状に対する失望、信仰に対する疑いの念が芽生えた。「お釈迦様は偉大な存在だ」と思ったが、「それは人間の到達する範囲のもの」で、彼も「死すべき人間」であって、真理でもなければ、神でもない。釈迦は来世についての議論を好まなかった。経験がないのにそれを説明することは不可能なのだ。そして、今の生き方、考え方がいかにあるべきかだけを問いかけている。それは、何も信じるものの無い世界、実体のない世界だった。藤井さんは、失意のうちに実家の広島へ戻り、大学の医局に復帰、小児科医として一般の総合病院に移り、結婚し、二人の子どもに恵まれる。
 仏教は、紀元前五世紀にインドで始まり、中国、チベット、朝鮮に伝えられたが、日本ではインドとはまるで異質の仏教が結実する。仏教は過去二五〇〇年の発展の中で、膨大な文献を残している。その中には、釈迦以後に、大乗仏教運動の中で修行者らによって創作された文献が多数ある。今日、日本で親しまれているお経『般若(はんにゃ)心経(しんぎょう)』(」)『(「)法華(ほけ)経(きょう)』などは、大乗仏教徒による偽経(ぎきょう)なのだ。
 ある仏教学者は「実は日本には、仏教は伝わってきたことはないのではないかと思う」と発言したという。私たちの周囲にある、仏教だと思われている制度、慣例慣習は、本来は仏教のものでない、あるいは変質してしまったものが多いのだ。例えば、お彼岸は、元来、修行を意味しており、煩悩にとらわれている此岸(しがん)(人間の住む世界)から、悟りの世界(彼岸)に到るということなのだ。生きている人が此岸から彼岸に渡るための修行だったものが、いつの間にか、お彼岸といえば死んだ人のために、墓参りをしたり、仏壇に彼岸団子を供えたりするようになった。今日、「お彼岸」の行事が行われているのは、日本だけだという。  
 ところで、藤井さんの夫は、妻や子どもたちに愛情とか思いやりをあまり示す人ではなかった。また、夫は若い頃に闘病したことのある肺結核が再発し、後遺症の肺不全症となる。入退院を繰り返しており、その都度、藤井さんが看病していた。そんなある日、藤井さんは犬の散歩中に足を滑らせ、骨折する。ギブスをし、松葉杖がないと歩けない身体でやっと家事をこなしていた藤井さんに対し、ある夕方、夫が「風呂はまだか?」と言った。その一言に、今までの不満が一気に爆発した。離婚も考えたが、二人の子どものことを思い、キリスト教の神に祈ってみた。結婚後、住んでいた自宅の隣に教会が建ち、藤井さんは周りの人の勧めで聖書勉強会にも出席していた。夫への憎悪を抱えたまま祈ったが、答えは出なかった。
 「こんなに祈ってもダメなら、やはりキリスト教もダメか」と思い、教会からは離れていった。すると夫がまた体調を崩して入院した。勤務が終わって車に乗り込み、入院先に向かおうとすると、毎日「いやだな」という思いが頭を巡る。その頃、隣の教会が献堂3周年で、記念集会に出てみた。集会が終わると藤井さんは牧師に、「先生、私も(イエス様を)受け入れてみようと思います」と告白した。牧師は、藤井さんのために祈ってくれた。翌日、入院中の夫の所へ出かけようとして車に乗り込んだ。そしてエンジンをかけようとして手を伸ばしたとき、「あれえ」と思った。「いやだなあ」という気持ちが、一夜のうちに完全に無くなっていた。修行もしないで! しかも眠っているうちに! そのことに気づいた時、藤井さんは今までにない、暖かく、柔らかい、静かな平安に満たされた。一か月後、藤井さんは洗礼を受け、その二年後に夫もキリスト者になった。
藤井圭子『悟りと救い』(一粒社)より


 御翼一覧  HOME