2019年御翼2月号その4

                           

人生は勝つことより負けることが面白い――チャールズ・シュルツ

  平成30年は、スヌーピーが登場する漫画「ピーナッツ」が日本に上陸して50年だったという。
「ピーナッツ」は米国人の漫画家、チャールズ・シュルツ(1922~2000)による新聞連載漫画である。主人公は、不器用で気が弱いが心優しい少年チャーリー・ブラウンで、スヌーピーは彼の飼い犬である。米国の漫画は、スーパーマンやバットマンなどに代表されるヒーロー、つまり強い存在がいるのが定番である。しかし、チャーリー・ブラウンは気が弱くて自分に自信が持てない。しかも、人生の本質を突いたような発言も多い。シュルツ氏は、「みんなが子どもの頃に体験した “失敗やはかなさ”、世の中の残酷さみたいなものを伝えたかった。切なかったり悔しかったりする感情は、地球上の誰もが味わう感情である。そんな気持ちを伝えたい」と言っていた。
 この漫画の登場人物は全員、「人生はうまくいかない」と嘆いている。その最たる例が、登場人物たちの恋模様である。それぞれが片思いであり、誰一人うまく行かない。勝負に負けてはかんしゃくを起こす。うまく行かなくてジタバタする。それは、シュルツ氏そのものなのだ。しかし、シュルツ氏は口癖のように、「人生は勝つことより負けることが面白いんだ」と言っていたという。それは、聖書の教え「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(コリント第二12・9)に通じる。
 シュルツ氏はクリスチャンであり、彼の描く「スヌーピー」の人気は、神の前における人間の不完全な姿が、登場人物一人ひとりの性格によって描き出されているところにある。風刺を含んだ滑稽(こっけい)な絵とネタで、誰もが神の前において不完全な存在であること知らせる、大人向けの連載漫画なのだ。そして、漫画を通して人類の罪に人々が気付き、やがてはキリストの救いに到達することを目的としていた。例えば、ライナスという少年の聖書の知識は相当なもので、正義感も強い。しかし彼がいつも「安心毛布」を手にしているのは、信仰があってもついモノに頼りたくなる私たちの姿なのである。失敗ばかりするチャーリー・ブラウンは、誰もが持つ「愛されたい」という願望を代表し、意地悪なルーシーは人間の原罪の象徴、そして、スヌーピーは典型的キリスト教徒の戯画(風刺を含んだ滑稽な絵)である。犬のように身を低くして主人に仕える従順さと謙遜さを持つのが信者である。しかしスヌーピーは怠け者だし、大食漢で、辛辣(しんらつ)な皮肉屋、しばしば臆病になり、犬であることにつくづく嫌気がさす。そこには、「クリスチャン=立派な人」、ではなく、誰もが神の祝福を得るには悔い改めが必要だというメッセージが込められている。スヌーピーの漫画全てに、深い神学的意味があるのではない。スヌーピーを読めば聖書のメッセージが全てあるということでもない。そんなことをすれば、シュルツ氏は読者をつなぎ止めておくことができなかったであろう。人間の罪をユーモラスに表現し、キリストの赦しの必要性を、遠慮がちに訴えているのだ。シュルツ氏は言う。「…マンガの中に何も意味を込めないのなら、むしろ何も描かないほうがましだ。含みのないユーモアには、値打ちなどない。だから私は、マンガ家はそれなりの伝道をする機会を与えられるべきだと考えている」と。
 59歳で心臓手術をし、手の震えと闘い続けたシュルツ氏は、77歳で漫画が描けなくなり引退する。そのときは、「神はどうして私から漫画を取り去られたのか」と嘆いたという。しかし、「ピーナッツ」の最終回は、良い漫画を描き続けられたことへの満足感と感謝の気持ちを表している。その最終回が新聞に掲載されるため、印刷された日(2000年2月12日)に、シュルツ氏は天に召された(享年77)。そして、翌朝の新聞には、シュルツ氏の訃報と、「ピーナッツ」の最終回が掲載されたのである。それはピーナッツ50周年目のことであった。強さや正義が叫ばれる世界で、この力の抜けたキャラクターにホッとするのはなぜであろうか。それは、自分の弱さを知り、すべてを神にお委ねしたときにこそ、聖霊が働くからである。それが、平和を実現する生き方なのだ。


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