2019年御翼3月号その4

                           

全盲のピアニスト/バリトン歌手・北田康広

 全盲のクラシック音楽家・北田康広さんは、一九六五年、徳島県徳島市に生まれた。未熟児で保育器に入れられるが、その時の酸素濃度が適切でなかったため網膜に傷がつき、未熟児網膜症となり、子どもの頃から視力が弱かった。そのためか、身の回りのあらゆるものを楽器として使い、音の違いを楽しんでいた。
 5歳の時、よく効く薬があると耳にした母は、ある病院に北田少年を連れて行った。そこでは一時的に明るく見えるようになる注射をしてもらったが、一回数万円もする注射は正規の薬ではなかったようである。五回目の注射で網膜が切れ、完全に視力を失う。父はそんな息子につらくあたった。錦鯉の養殖で成功した父親は、金儲けに奔走し、全盲の息子を足手まといに思っていたのだ。
母は献身的に息子を支えたが、現実を受け入れがたく、父が儲けたお金を持ち出し、「あそこに行けば治る」「これが効くかもしれない」と言われるがまま、デタラメな宗教にのめり込んでいった。対照的な両親は、北田少年が10歳の時に離婚、父は母を追い出すだけではなく、嫌がらせから息子の親権を主張した。結局、経済力で勝る父に引き取られた。「お前の母ちゃん、どこ行ったんや? 代わったんか?」と盲学校でもいじめられた。悲しくて悔しくて、涙がこぼれ落ちた。話したいときに、かけがえのない実母がいないというのは、幼い心には耐えがたい苦しみだったという。母と暮らす希望が潰(つい)えた北田少年に残されたのは音楽だった。小学校(徳島県立盲学校)では音楽室に入り浸り、ギター、トランペット、ピアノを独学でマスターしていった。中学になると、音楽の教師に代わって文化祭の課題曲のアレンジを一人でこなすほどの活躍だった。だが、音楽家になりたいという北田さんの夢を真剣に受け止めてくれる先生は学校にいなかった。当時は、視覚障がい者は鍼灸やマッサージの仕事をするのが常識という時代だった。頭ごなしに否定され、志望する音楽へのあこがれも簡単に挫(くじ)かれ、すべてが閉ざされたように思われた。たった一つの望みが消え、自分はいてもいなくてもいいんじゃないか、とさえ思うようになった。
 ところが高校時代、転任してきたばかりの吉村孝雄先生との出会いが、すべてを変えた。吉村先生は、一人の人間として対等に接し、語りかけ、「視覚障がい者だからといって、夢をあきらめてはいけない。できないと決めつけてもいけない。それでは後で後悔してしまう。誰が何と言ってもやってみなさい!」と言って、音楽の道へ進むことを応援してくださった。吉村先生はクリスチャンの先生だったのだ。
吉村先生の影響で、それまでは劣等感を抱き、内向的だった北田さんの性格も、前向きに変わった。そして、東京のコンクールに出ることを決め、「第31回全国盲学生音楽コンクール(第51回からは、「ヘレン・ケラー記念音楽コンクール」に改称)」で第一位を受賞した。このコンクールは、二〇〇九年のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんなど、国際的に活躍する音楽家を輩出している。
 北田さんは高校を卒業後、反対する父を説得して上京し、国立として唯一の盲学校、現・筑波大学附属特別視覚支援学校に入学した。一日8時間ピアノの練習をし、それが終わると点字による音楽理論の勉強をするという、音楽漬けの生活を送った。一九八六年二月、ついに名門・武蔵野音楽大学の入学試験の日を迎えた。実技演奏が終わると、試験の最中にも関わらず審査員が飛び出して来て握手を求めた。全く異例のことだった。結果は1000人の受験者の中でトップの成績で合格だった。大学生活が始まると、母・多恵さんは上京し、十五年ぶりで息子と暮らすことができた。そして在学中に、後に妻となる女性・クラスメートの川村陽子さんと出会う。
 陽子さんも子どもの頃、日曜学校に通っていたことがあったので、結婚後、お二人で所沢の教会で洗礼を受けた。やがて北田さんのお母様も教会に通うようになった。現在は二人三脚で全国各地を周りコンサートを開いている。「喜びと生きる勇気をあなたに」をテーマに開かれるコンサートはピアノ演奏だけではなく歌やトークを加えた独特のスタイルで、誰もが楽しめるクラシックコンサートとして評判になっていった。これまでの歩みが激しいまでに険しかったからこそ、音楽のみに取り組んでも出せないような、深い音色がにじみ出ているのであろう。北田さんは、与えられた“音楽”と“障害”という、二つの神様からの贈り物を感謝して受け止め、自分にしかできない、自分に与えられた使命を全うしていきたいと願っている。
「私の演奏を聴いて何かを感じてくださるとしたら、きっとそこに、苦しみを抱えている者にしか出せないような、音の響きや粘りといったものがあるからだと思う。自分に自信を持って生きてほしい。自分は自分のままでいいのです。他人と比較すると劣等感を抱いてしまいます。ありのままの自分を受け入れ、ありのままの自分を生きてみる。人を羨むのではなく、自分らしい輝きを大切にするとき、そこに光が差してくるはずです」と言う北田康広さんは、「世の光」としてこの世に遣わされている。


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