2019年御翼6月号その1

                           

日本人はいつから「天の父なる神」を知っていたのか

 先日のイースター礼拝に、初めて牛込の礼拝堂を訪ねられたご婦人が、「鳥居(のミニチュア)やシーサー(狛犬)があって、楽しいなと思いました」と言われた。日本人はいつの時代から、聖書にある「天の父なる神」を信じていたのか。
一般にキリスト教伝来は、一五四九年、フランシスコ・ザビエルによるものだと言われる。そのとき、来日したザビエルは日本について以下のようにローマに報告している。「まず第一に言うべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出会った民族の中で、最もすぐれている…日本人は一般的に良い資質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い」と。
 果たして、日本人はサビエルの来日により、初めて聖書の神を知ったのだろうか。縄文時代(紀元前八世紀)に、朝鮮半島を渡って多くの渡来人があった。そして、日本各地に農耕を中心とした集落ができ、弥生時代へと移行した。その渡来人は百万人規模であり、その中には多くの北イスラエル、続いて南ユダからのイスラエル難民が含まれていたことが考えられる。(イスラエル民族は紀元前七二二年、アッシリアによる北イスラエル滅亡により、北イスラエルと南ユダに分かれ、最初に北イスラエルが滅亡、続いて紀元前五八六年、南ユダ滅亡、それぞれ多くの難民が発生、中にはシルクロードを通って日本にまでやって人たちがいた)。
 さらに、日本書紀には、紀元二八三年、秦氏の先祖と考えられる弓月君(ゆづきのきみ)という人が中国、朝鮮半島を経由して日本にやって来たと記されている(「秦」とは西方を表す中国語であり、秦始皇帝は西方から来た人、つまりローマ方面から来たユダヤ人だった可能性がある)。この秦氏はキリスト教徒だったのではないかと、文化勲章を受章している梅原猛氏は言う。そして、景教(ネストリウス派キリスト教の中国の呼び名)が中国に伝えられたのが、紀元六三五年と記録にあり、これは唐の時代である。従って、遣唐使として中国に渡った空海が、景教の教えに触れたことも十分に可能性がある。
まとめると、ユダヤ人の信仰は紀元前から日本にもたらされていた可能性が高く、彼らが日本各地に神社を建て、日本の神道が始まった。そして、紀元三世紀頃にはイエスの教えに従うユダヤ人の信仰も日本にもたらされ、神道はモーセの律法を中心としたユダヤ教的な神道から、イエスの教えによる新しい神道に一新されたと考えることができるのだ。
吉村忠敏『日本人の信仰が世界を救う』(さくら新書)より


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