2020年御翼10月号その3

         

「天上の響きに――左手のピアニスト」智内威雄(ちないたけお)

  左手のピアニスト、智内威雄さん(一九七六年埼玉県生まれ)は、東京芸大を出た画家の父と劇団四季で活躍した声楽家の母の元に生まれた。智内家の教育方針は「美しいか、美しくないか」であり、そこには道徳的な規準も含まれるという。三歳からピアノを始め、英才教育を受け、演奏家への道を歩んでいたが、ドイツ留学中、メロディーを奏でる右手にジストニアが発症して指の動きが不自由になり、ピアノをやめることにした。
 ところが、留学中の先生から左手のためのピアノ曲を紹介してもらった。「左手のためのピアノ曲のことは知っていたが、片手を使えない人が仕方なくやっている分野だと思っていた。十本の代わりに五本の指で弾くのだから、魅力も半分ぐらいしかないものだと思っていた。ところが、左手だけで弾いてみると、単旋律のように個人の思いを両手を使うよりも濃く表現できるように感じた」という。左手のピアノ曲が多く作られたのは、第一次世界大戦の頃であった。ピアニストも最前線に立たされたが、戦闘で右手を失うピアニストもいた。右手を失ったピアニストのために、著名な作曲家が左手のピアノ曲を書いた。当時三千を超える左手のピアノ曲が書かれた。彼らがどんな状況下でも音楽に希望を託した。戦争の絶望の中で生まれた左手の音楽に音楽の原石があると智内さんは感じた。そんな世界を伝えたいと思い、左手のピアニストになることを決意すると、ドイツの先生は「既に著名なピアニストが片手を失い、左手ピアニストとして活動することはあるが、まだ学生で無名な君が、これから左手ピアニストになるといっても、そんな例はない」と反対した。主治医も反対、唯一、賛成してくれたのが画家の父だった。「絵を描く時は片手で鉛筆をもつ。両手でやろうとするのがおかしいのだ。何か物事を表現するのに集中するには片手だ! それはやるべきだ、やらない方がおかしい」と言って励ましてくれた。智内さんは、左手のピアノを通じて音楽の素晴らしさを伝えることに使命を感じて、演奏活動と共に、同じように片手に障害を持つ人たちにピアノを教えている。
 智内さんは、阪神淡路大震災で大学生の息子を亡くしたご婦人から、追悼コンサートを依頼された。会場となったのは息子さんが亡くなった地にある教会である。そのコンサート中、智内さんは不思議な体験をする。演奏中、人の気配を感じなくなり、何か不思議な一体感があったのだという。智内さんはクリスチャンではないようであるが、使命をもって人ために何かしようとコンサートを開催したとき、ご本人は知らなくても、神の霊、聖霊が臨んで人々が慰めを得たのであろう。
 人は誰でも聖霊によって、特別な使命のために聖別されるよう選ばれているのだ。


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