2020年御翼12月号その1

         

『牧師の読み解く般若心経』―大和昌平氏

 父が天に召されたとき、海軍兵学校の期友I氏がお棺の前で「般若心経」を唱えた。般若心経とは、日本人に最も人気のある短いお経である。
原始仏教時代(紀元前5世紀の釈迦の時代)には、在家信者にも、「五戒」が説かれた。
 五戒
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を故意に殺してはならない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
不邪婬戒(ふじゃいんかい) - 不道徳な性行為を行ってはならない。
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない]。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒類を飲んではならない。
これらは聖書の十戒の後半(第六~第十戒)とほぼ符号する。顕著な違いは、聖書の十戒の前半部の内容が、仏教の五戒にはないということである。ひとことでいえば、唯一で人格的な神を敬い恐れる生活をせよという戒めである。
 紀元1世紀のイエス・キリストの時代には、仏教では大きな改革運動がおこり、大乗仏教が始まった。そのとき、法華経、華厳(けごん)経、浄土教などの新しいお経が書かれた。その最初に出たのが、大乗仏教の先駆けとなった般若経であり、その神髄を簡潔にまとめたのが般若心経である。般若心経の中心になっている教えは「空」である。仏教での「空」とは、「この世は常に移り変わるもの」「見えるもの、見えないものにかかわらず、不変のものはこの世にはない」ということである。仏教の「空」は、「虚しい」ということではなく、「移り変わっていく」という意味である。「この世界はずっと続くような確かなものはない」と自らの智慧(ちえ)によって悟ることで、人生の苦しみから解放されようとするのが仏教である。従って、「五戒」 (5つの正しさ)なんてものはない、まずは、「無」になりさいと教える。
 一方、聖書にも「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空」(伝道者の書1・2)とある。聖書の「空(くう)」は、ヘブル語のヘベルで「はかないもの」という意味である。それは、「あなたがあなたを創られた神様を見失い、神様から離れてしまったならば、あなたは誠に空しい、空なるものだ」と言っている。創造主の存在に気付き、そのお方と出会い、信じ、愛するという人格的な出会いをもって歩んだ時、人は空しいものではなくなる、と言うのが聖書の「空」である。
 「般若心経には、これも無い、あれも無いといった言葉が続きますが、その真意は本当の物を求める激しい宗教心であると理解したいと思います。宗教とは、この世において絶対的なものを求める営みです」(大和昌平『牧師の読み解く般若心経』より)。大和氏は、アメリカの仏教学者ジャン・ナティエが一九九二年に、「現状(現状)役般若心経は、サンスクリット語で所かれた仏教の正典からの漢ではなく、まずは中国語で書かれ、それからサンスクリット語に還元された」という説を発表したことを紹介している。
 大和氏は牧師でありながら、仏教を研究するため佛教大学大学院で学んだ。その正統的な教育ゆえか、大乗仏教がキリスト教に影響されて形成された可能性については触れていない。大乗仏教の基盤がキリスト教であるならば、般若心経の言う「空」は伝道者の書の「空」に近いものかもしれない。


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