2020年御翼7月号その1

         

大嶋裕香『愛し合う二人のための結婚講座』より

  道徳的に完全ではなく、神に引き渡されている(聖なる者となる)とは、具体的にはどういうことなのか。道徳とは、自分の力で行いを正していくことであり、神に引き渡すとは、失敗も含めてすべてイエス様の十字架の赦しにお委ねする生き方である。それを分かりやすく、結婚の枠の中で解説している文章が、大嶋裕香『愛し合う二人のための結婚講座』(いのちのことば社)にあった。

 Q交際中、性的な関係についてどのように考えたら良いのでしょうか?
聖書においては結婚という関係の中でのみ、男女の肉体的関係が許されています。夫婦における性的な関係は、聖書では「知る」と表現されます。とても人格的なもので、相手を知るために神様
が与えてくださった、きよく美しいものです。結婚という安心と信頼のある関係の中でお互いを知り合い、愛し合うことは素晴らしい祝福です。しかし、結婚外での男女の性的関係は許されていません。特に性に関して罪を犯してしまう時、精神的にも霊的にもダメージを受け、相手にも深く傷をつけることとなります。何より神様の前に罪を犯すこととなりますし、自分自身を赦せずに、教会から離れていったり、自らを責め続けて苦しくなったりします。神様の与えてくださる祝福のために、結婚する時まで、自らをきよく保っていただきたいと思います。

 Q結婚前に持った性的な体験や、つらい過去の出来事など、結婚する時にすべて相手に話したほうが良いのでしょうか?
「全部話さないと愛ではない」「すべてを受け入れたいからすべて話して」と無理強いすることは愛でしょうか。逆に自分の感情だけで話し、相手を傷つけてしまうこともあるでしょう。神様の前で悔い改める時、結婚外の性的な罪も赦され、新しく生きなおすことができます。二人の関係をより良く保つ方向を考えてください。また過去の出来事で、つらすぎて話せないこともあるでしょう。私にも夫に十年以上話せないつらい出来事がありました。しかし、結婚生活という愛と信頼と安定した関係の中で、主によってその傷がいやされた時に、話せるようになったということがありました。いやされるのに時間がかかる体験もあります。二人の間で大事なのは「自由」です。相手を縛ったり、不自由にさせるのは愛ではありません。あなたがあなたらしく、相手が相手らしくいられるような助け手となりたいものです。

 上述の二つの回答を合わせると、神に引き渡す生き方が見えてくる。私たちには神から性の秩序、高い基準が与えられている。しかしイエス様は、「情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです」(マタイ5:28)と言われた。また、ヨハネ第一3:15 「兄弟を憎む者はみな、人殺しです」とあるのだから、これらを守り切れる人は誰もいない。それゆえ、各自がイエス様の十字架によって赦していただけることを受け入れ、互いに赦し合いながら、できるだけ神の基準に近づこうとする生き方が、神に引き渡した人生、即ち、キリストの贖いに頼る人生である。


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