2020年御翼7月号その2

         

経済上の独立   大正3年1月10日『聖書之研究』一六二号 内村鑑三

 経済上の独立は最上の独立ではない、其上に思想上の独立がある、信仰上の独立がある、我等は経済上の独立に達したればとて、敢て安心すべきでない、勿論(もちろん)誇るべきでない。然れども経済上の独立はすべての独立の始めであって、其基礎である。先(ま)づ経済的に独立ならずして、思想的にも信仰的にも真正(ほんとう)の意味に於ての独立に達することは出来ない、経済は肉に関する事であるが、然し霊に及ぼす其感化は甚(はなは)だ強大である、人が肉である間は彼は経済的に自由ならずして、其他の事に於て自由なることは出来ない。
 …独立の無い所に自由は無い、而してすべての独立は経済的独立を以て始まるのである。自由基督教の元祖は使徒パウロである、而(しか)して彼が如何(いか)に経済的独立を重んぜし乎(か)は聖書の明かに示す所である、…今の伝道師と雖(いえど)も経済的に独立ならずして自由の主なるイエスキリストの福音に忠実なることは出来ない、…殊に黄金に最高の価値を置く米国人の補給を受けて我等は彼等の束縛を受けざらんと欲するも能はずである。…経済上の依頼は我が自由の思想と信仰とに害あり、又他に信仰を勧むるに害あり、故に我は之を避くべきであると言ふのである。
 故に余輩(よはい)は曰ふ、先づ経済的に独立せよ、而して後に真理と自由とに就(つい)て語る所あれと、甚だ野卑なる言の如くに聞ゆれども、胃の腑の独立は頭脳と霊魂との独立に先だつべきである、胃の腑にして独立せん乎、頭脳と霊魂とは自(おのづ)から独立すべし、避くべく忌むべきは胃の腑の束縛である。
 凡て独立の人は一致す、経済的に独立して、茲(ここ)に始めて信徒の真(まこと)の一致和合を見ることが出来るのである、然し乍(なが)ら、其事を行はずして百年千年協議を継(つづ)くるとも真の一致は決して来らない、求むべく、慕ふべきは経済上の独立である。


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