2020年御翼7月号その3

         

「内的再臨と外的再臨」内村鑑三(百万人の福音二〇二〇年六月号より)

 ルツ子の死
 内村がキリスト再臨の信仰を深めたのは、ルツ子の死によってである。一九一二(大正元)年一月一二日、五十一歳の時、愛娘ルツ子が、突然の病で床に伏し、六か月の闘病の後、十八歳で召天した。これは内村の人生における最も衝撃的な事件のひとつだった。六年後、再臨運動の始まった年、彼はその死について記した。「この日、我らの愛するひとりの少女は我らを去りて、我らの天地は一変した。この日、聖(み)国(くに)の門は我らのために開かれた」(「一月十二日一九一八年」
 来世的キリスト教
 深い悲しみの中で、彼は信仰の眼をもって天の国を仰ぎ見、やがて地に来られるキリストの栄光を見た。そして「現世的信仰」から「来世的信仰」へと深められた。彼は言う。「信仰の進歩と共に、今世はますます軽くなりて、来世はますます重くなる」(「福音と来世」一九一五年)と。これは厭世(えんせい)主義(世の中を悲観的に見る考え方)ではなく、永遠的視点から見た現世の相対化である。
 内的再臨と外的再臨
 来世的信仰は、キリストの再臨待望信仰へと深められる。神の霊によって内なる世界を新しくされた者は、やがてキリストによって外なる世界が新しくされることを待ち望む。内村鑑三は、このような聖霊の働きに注目し、すでに起こっている聖霊の降臨を「内的再臨」、やがて起こるべきキリストの来臨を「外的再臨」と呼ぶ。(『基督再臨の二方面』一九二〇年)このような個人的体験とキリストの再臨待望との関係についての内村の指摘は、重要である。パウロも、全被造物が一新される終末的完成の世界を、キリストの霊によって体験した。
 聖霊により一瞥(いちべつ)(ちらっと見ること)した天の国は、赦しと愛と平和に満ちた世界、すなわちキリストの来臨後に実現する終末的世界である。聖霊の降臨によって、キリスト者は、すでにキリストの来臨後の世界を体験している。それゆえ確信をもって、来臨のキリストを待ち望む。


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