2020年御翼9月号その4

         

礼拝メッセージの持つべき性質

  善い思いは神から与えられるものであり、神がそれを成し遂げてくださる。そこで礼拝においても、聴く者が善を求め、神から善い発想が与えられるようなメッセージを語らなければならない。そのために、シューラー博士が提唱してきた「礼拝メッセージの持つべき性質」が有効である。
一.叱るような説教はしない。
説教という言葉には、叱る、という否定的なイメージがある。「こうあるべきです、反省しなさい」と「説教」をする牧師は多い。しかし、信仰を持っていない人でも罪悪感は持っている。人は、叱られるためではなく、神への信仰を確信し、希望を見いだし、愛の業を行うことができる人間になりたい、と思って教会に来る。それを、他人である牧師から罪人だと指摘されたくはない。
二.講壇では、論争を招くような話は避ける。
 礼拝での話は、キリストへの信仰の基本に留まることである。より深い教理については、対話がゆるされる小さなグループ(教会学校)にとっておくべきなのだ。
三.いつでも前向きであること。
 ユーモアは人を癒し、精神的に絶大な価値がある。説教を、楽しく聞けるものとなるよう努力しよう。問題視していることを、前向きで、感銘を与えるような言葉で表現出来るようになるまでは、決してそれを口にしてはならない。
四.全てのメッセージは、聴衆の前向きな感情を刺激するものでなければならない。
 積極的感情とは、愛、喜び、平和、親切、柔和、善、信仰、希望、ユーモア、熱望、信頼、尊敬、自信、熱心、大志、勇気、楽天主義だ。一方、否定的感情とは、恐れ、疑い、怒り、偏見、悲しみ、失望、自己嫌悪、厭世(えんせい)(この世に生きていることが嫌になること)主義などで、これらを口にしてはならない。そうすれば、会衆の人格を変えることが出来る。人々は教会へ行くのが、楽しみになる。

 礼拝メッセージで相手を叱ってはならないのは、どんな人も自分の罪は分かっているからである。神の性質を受け継いだ人間は、幼子のような素直さを隠し持っている。誰もが子ども時代に持っていた純真さ、真の愛を信じる心を呼び起こすように神の愛を訴えることが、伝道者の役割なのだ。童話が大人からも子どもからも愛さる理由はここにある。童話は、子どもたちに、「お前ら罪人よ」とは語りかけない。信仰を持った作家が、子どもの心に訴えるように神の愛、犠牲の愛をテーマに作品を作ると、大人までも素直な心を取り戻す作品となる。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン(一八〇五~七五)の童話は、世界中の人々の心に素晴らしい糧を与えてきた。代表作は、「マッチ売りの少女」と「みにくいアヒルの子」だ。「マッチ売りの少女」には神の国への憧れが、「みにくいアヒルの子」には、誰もが人とは違った賜物が神から与えられているというメッセージが込められている。
アンデルセンは、デンマークの貧しい家に生まれ育った。父は靴職人、母は洗濯婦、祖父は精神障害を患い、祖母は慈善病院の庭番という一家で、社会的に見て最低といってよいものだった。しかし、一家は信仰をもっていた。母は無学な女性だったが、優しく信仰深い人で、神さまや天国の話をよくした。父親は、アンデルセンが0歳の頃から、戯曲などを読み聞かせた。その影響か、14歳で堅信礼(幼児洗礼を受けた子が、14~15歳になって、自分自身で信仰告白をすること)を受けたアンデルセンは、俳優になろうと、王立劇場に入る。しかし、「背がひょろ長く、手足の釣り合いがとれていない」など、養子が醜いとの酷評を受ける。アンデルセンは自殺まで考えるが、「神さまはこのままになさっておくはずはない」と、信仰により立ち上がる。俳優の道が閉ざされるなら、劇作家になろうと大学に最優秀の成績で合格し、24歳で戯曲作家として大成功を修めた。やがてアンデルセンは、以前から手がけてみたかった童話を書き始める。そのテーマは、「神の愛、無条件の愛、犠牲愛」であった。童話を書くアンデルセンを、最初人々は批判した。「立派な劇作家が、なぜこんな子どもだましの話を書くのか」と。しかし、次々と発表される彼の童話に子どもたちが夢中になり始めると、親たちもアンデルセンの童話を読むようになった。永遠の命への憧れ、犠牲愛がテーマの彼の作品に、大人も子どもも感動して泣いた。そして、『しっかり者の錫(すず)の兵隊』『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』などの名作が生まれた。彼の一六〇篇ほどの童話すべてに神の愛と信仰が流れている。
一八四三年、アンデルセンが38歳の時に書いた『みにくいアヒルの子』(原題『若い白鳥』)のあらすじはこうである。アヒルの子どもたちが、卵からかえるが、なかなかかえらない大きな卵が1つあった。やっとかえったのは、1羽だけ大きいヒナで、醜いために皆にいじめられる。アヒルからも、ニワトリや七面鳥からも、野ガモやガンからもかみつかれ、つつかれ、馬鹿にされる。ある日、アヒルの子は、美しい白鳥の群れに出会い、心ひかれ血が騒ぐ。厳しい冬の間、みにくいアヒルの子はじっと耐え忍び、やがて春になり、白い鳥たちに再会した。「みにくいぼくを突っついて殺してください」と水面に首をたれた時、そこに映ったのは、成長し、憧れの白鳥と同じ美しい姿となっていた自分だった。「みにくいアヒルの子」は、容姿が醜いと王立劇場では酷評され、死にたいとまで思ったアンデルセン自身の体験から書かれたのだ。               
福音を伝える時、アンデルセンの童話のように、素直な子どものような心に訴える配慮をして、語りかけよう。そうした時、人々に、神の子としての本来の姿を思い起こさせ、共感を得ることができる。


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