2021年御翼1月号その1

         

細川ガラシャの最期

 細川 玉(たま―後に洗礼を受けてガラシャとなる)が20歳のとき、父・明智光秀が主君・織田信長を討った(本能寺の変)ことにより、細川忠興の正室としての幸福な生活は一変した。謀反人の娘という烙印を押され、山奥に幽閉された。二年後、大阪に戻り、キリシタンとなった細川ガラシャは、平安を取り戻すが、間もなくガラシャに危機が訪れる。一六〇〇(慶長五)年九月、関ケ原の戦いで家康が出陣すると、大阪で石田三成が挙兵、両軍が戦おうとしていた(現在の岐阜県関ケ原での決戦を中心に、日本全国各地で戦闘が行われた)。ガラシャの夫・細川忠興も家康の陣に加わっていた。関ケ原の戦いの約二か月前の7月14日頃、大阪に残されたガラシャの下に一人の尼が訪れた。それは石田方の使いであり、ガラシャに人質となるよう、要求してきた。大阪には、家康に味方する武将の妻が多く残っていた。武将の妻らを人質にすることで、敵の戦意をくじき、寝返らせるというのが石田三成の狙いであったのだ。ところが、ガラシャは夫・忠興の働きの妨げになるので、人質になることは同意できないと断る。数日後、再び使者がやってきて、今度は武力に訴えると脅して来た。ガラシャは、敵が押し入ってきたら、介錯(かいしゃく)(槍で胸を貫かせる)するよう家老に依頼した。ガラシャは身の回りの整理をし、礼拝堂で祈った。翌日、石田方の兵が屋敷を囲む。ガラシャは死を共にしたいという侍女たちを外に逃がした。「主よ、御手のうちに我が魂を任せ奉る」とガラシャは最期の祈りを捧げたであろう。家臣たちは彼女の亡骸が敵に奪われないよう、屋敷に火をかけた。ガラシャは38歳で生涯を終えた。
 ガラシャの死の三か月前に書いたと考えられる友人宛ての手紙が遺されている。「私ももうすぐ落ち着きますので、近いうちに豊後(ぶんご)(大分)へ参ります。あなたも是非、お越しください。お待ちしております」とあるが、豊後には忠興の新しい領地があった。ガラシャは新たな地で家族と共に暮らす、穏やかな日々を夢見ていたのかもしれない。
 ガラシャの死は、両軍に衝撃を与える。石田三成は、かえって敵を増やしかねないと悟り、強引に人質を取ることをやめた。忠興の元にも悲報が届く。戦いに臨んだ忠興は、敵意をむき出しにして石田方と戦ったという。関ヶ原の戦いで勝利した後、徳川家康が忠興にかけた言葉が伝わっている。「忠興の妻が義を守って自害したので、三成はそれ以上、人質を取ることができなかった。これ皆、忠興夫妻の忠義のおかげである」と。
 「ガラシャの最期というのは結局、関ケ原合戦の一番最初の犠牲者という位置づけが近年の研究ではされています。ガラシャの死というのは、一大名夫人の悲劇的な最期にとどまらない、非常に強い政治性を帯びたものではなかったかと私は考えています」と、福岡大学の山田貴司准教授(日本中世史)は語る。自らの意志を貫いた細川ガラシャ、その決断が戦国の世を動かしたのだった。
 ガラシャが亡くなった後、夫・忠興は領内に教会を建てさせた。そこでは忠興が鋳造させた教会の鐘が鳴り響いた。ガラシャの死の翌年、忠興は教会で一周忌を執り行った。その途中、涙をこらえきれず泣き崩れたという。ガラシャが最期を迎えた細川家の屋敷跡に、辞世の句(詩の形で遺された末期の言葉)が遺されている。「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」(花は散るときを知っているからこそ 最期まで美しく咲き続けるのでしょう それは人も同じです。私にとって今がその時なのです)。
 時代の波に翻弄され続けた細川ガラシャ、しかし心の自由は失わず、毅然とした生き方を貫いたのだった。
 ところで一九九〇年、オーストリア・ウィーンの国立図書館で一人の日本人女性を描いたオペラの楽譜が発見された。楽譜の表紙にはGRATIA(グラーチア―― 神の恵みを意味するラテン語)とTANGOとある。発見者であるザルツブルク大学音楽史研究所研究員の新山富美子さんは、グラーチアは細川ガラシャのことであり、TANGOは日本の丹後(たんごの)国(くに)(京都府北部)のことだと結論付けた。クリスチャンとして生きたガラシャの人生は、日本に来ていた宣教師によって17世紀のヨーロッパに伝えられた。そして、ガラシャを貴婦人の鑑(かがみ)(手本)と称えるオペラまで作られていたのだ。
 オペラの主人公グラーチアはキリスト教を信じ、改宗を迫る夫の迫害に耐えながらも、慈悲深く人々のために尽くす。そしてグラーチアが天に召されたとき、夫は心を入れ替えるという筋書きである。「見よ、見よ、彼女は辛苦の末に勝利を得た。拷問の苦しみを越えて勝利を得た。痛みを越えて戦った 全て聖なる キリストのもとに」

細川ガラシャの最期は、神の国を目指すと言う、「永遠に変わることのない事業」に従事したものだった。そこには、この世的な繁栄だけを求める者には分からない、深い平和がある。それは現世では適度の幸福、来世では主と共に至高の幸福を感じることができる生き方であった。

歴史ヒストリア「戦国に生きた女性 細川ガラシャ 17通の手紙が伝える素顔」NHK総合 2020.11.18放送
その時歴史が動いた「キリシタン女性 細川ガラシャの生涯」NHK2001.9.19放送 より


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