2021年御翼10月号その1

       

ローズ・レディー(金の腕時計)―― 匿名希望の米国人夫人 

 自動車整備士のヘンリーは、フォードのディーラーに務め、定年退職、その記念に店は、彼の名前が刻印された金の腕時計を贈った。ヘンリーはそれを宝物にし、「息子への形見ができた」と微笑んだ。
 ヘンリーとルシール(仮名)が住むロサンゼルス郡の地域は、治安が悪化したので、もっと安全な場所に引っ越して欲しいと子どもたちは願った。しかし、ヘンリーはそこに住み続け、社会を良くすることが正しいと拒否した。この老夫婦が地域社会にできることと言えば、庭で栽培したバラを近所に分け与えることだった。二人は毎日、庭のバラ園を手入れし、誕生日や卒業祝いにバラの花束を贈るのだった。この夫婦はやがて近所から「ローズ・カップル(バラの夫婦)」と呼ばれるようになる。
 ある日の夜10時頃、ヘンリーの友人が、路上で車が故障したと電話してきた。整備士だったヘンリーは「そんなに遅くはならないと思う」と言い残し友人を助けるために家を出た。ところが、遅くなれば必ず電話をくれるヘンリーから、11時半になっても連絡がない。ルシールは心配して祈りながら部屋の中を歩き回っていると、ドアをノックする音がした。それは二人が通う教会の牧師だった。一番恐れていたことが起こったのだ。ヘンリーと友人は、強盗に銃で撃たれ、二人とも死亡したという。犯人は近所のギャング団だった。
 犯人らはヘンリーの財布と、金の腕時計も奪っていった。妻の悲しみは言葉では言い表せず、また、なぜか時計のことが気になった。ルシールは時計が戻れば、希望が持てるような気がしたのだった。犯人が逮捕されるよう、そして時計も戻るよう祈ったが、何週間たっても犯人は見つからない。教会に行く時も、スーパーに歩いて行く時も、彼女はすれ違う人々の腕を見ては時計を探すのだった。質屋にも行ってみた。子どもたちは金の時計に250ドルの懸賞金を設けたが、半年たっても何の反応もない。フォード・ディーラーは、同じ形の時計をプレゼントしてくれた。気持ちは有り難かったが、所詮ヘンリーが誇らしげに身に付けていた時計ではない。夫のいない今、妻はバラの手入れをする気にもなれず、庭も荒れ果てた。
 ある週末、長女が泊まりに来てくれた。「お母さん、再び生きることを始めましょう」と励まされながら、土曜日の朝、二人でバラの剪定を始めた。すると、黒人青年が庭の前を二、三回通り過ぎた。彼は立ち止まり、何か言いたそうだった。ルシールが「バラを少し持っていきませんか」と声を掛けると、彼は「あなたがローズ・レディーですか」と尋ねてくる。彼女が「そうですが、どなたですか」と言うと、彼はぼそっと「僕の名はジェアードです」と答える。花束を差し出すと、彼は躊躇しながらも受け取り、何も言わずに去っていった。翌週の土曜日も、同じ青年が現れた。「よほどバラが気に入ったのね」と笑って見つめると、彼はびくびくするので、ルシールの方が恐ろしくなった。
「ローズ・レディーさん、お話したいことがあります。大事なことなんです」と彼は言う。家のポーチに座り込み、しばらく沈黙が続く。突然彼はポケットからハンカチで包んだ何かを取り出し、意を決して言った「お返ししなければならないものがあります」ハンカチの包みを開くと、夫の金の腕時計が出てきた。ルシールは涙を流し、腕時計を胸に抱いた。「僕がやったんじゃない。信じてくれるでしょ」と青年は言う。「そうね、人殺しなら、この時計を持って帰ってきてはくれないわね」ジェアードは詳しく話してくれた。彼はギャング団の一人として強盗に加わった。ギャングの一人が銃で二人を撃つと、ジェアードはショックだったし、怒った。「財布と貴金属を取ってこい」と命令されたジェアードが、撃たれたヘンリーのところに行った。彼はこう言う。「僕が腕時計を外そうとすると、あなたのご主人は小さな声でささやいたんだ。『この腕時計をローズ・レディーに持っていってくれないか。そして彼女に、愛していると伝えてくれ』」と。そう説明するジェアードも、震えながら涙をこらえていた。「僕は時計をギャングの連中には見せずに隠し持っていたんだ。もっと早く持って来たかったんだけど、恐かったんだ。僕を警察に付き出しますか」とジェアードが言うので、ルシールは、ヘンリーならどうするだろうかとしばらく考え、言った。「あなたには正しいことをしてもらいたいわ」「そんな簡単じゃないんだ。僕が警察に行けば、ギャングの連中が僕を殺すよ」「簡単だとは思いません。でも正しいことをすれば、後のことは神さまが全部最善にしてくださることを私は体験してきました」と彼女は説得した。
 その後ジェアードは現れず、警察に出頭した。そして、仲間は殺人容疑で逮捕されたが、ジェアードは起訴されなかった。「彼が夫の時計を返してくれた時から、神さまはジェアードに新しい命を与えてくださったように思える」とルシールは言う。その後、彼女は偶然、青年の親戚に会った。「ジェアード君はその後、どうしていますか」と尋ねると、「今、彼は大学に通っています」と親戚は誇らしげに答えた。腕時計を返してもらったルシールの傷は、少しずつ癒されていった。数年後、ジェアードが大学を卒業すると聞くと、彼女はフォードがくれた、もう一つの金の腕時計を卒業祝いに贈ることにした。彼の幸福を願い「ローズ・レディーから」と書いて。「私のバラも、私の人生も再び咲き始めました」とルシールは言う。
Susan Wales & Ann Platz, A Match Made in Heaven (Sisters, Oregon: Multnomah Publishers, 1999)

 御翼一覧  HOME