2021年御翼12月号その3

       

人生に絶望なし ―― ヘレン・ケラー

 目が見えず、耳が聞こえず、口がきけないへレン・ケラー(1880 - 1968)は、キリストへの信仰をもち、障害者、特に盲人救済運動に身を捧げた。1歳9カ月の時に高熱で生死をさまよい、視力と聴覚を失ったヘレンに、手を使ったコミュニケーションと点字を教え、ラドクリフ大学(現ハーバード大学)に通わせたのは、自らも目の見えないサリヴァン先生であったことは有名である。
 しかし、ヘレン・ケラーを信仰に導いた人がいたことは、あまり知られていない。10代の頃から点字の聖書を繰り返し読み、字がかすれた所は記憶に頼って読むほどであったヘレン・ケラーは、聖書をより良く分かりたいと思っていた。そして13歳の時(一八九三年)、聾啞(ろうあ)者の施設の局長ジョン・ヒッツ氏(米国駐在スイス総領事)と出会う。ヘレン・ケラーはその著書、『私の宗教』の中で、以下のように信仰告白をしている。「以前狭苦しい考えを持った人々から、キリスト教徒でない者は皆神の罰を受けると聞かされて、自然反抗心を起こしていました。それは、異教徒の中にも真理のために生き、真理のために死んだ人々がいることを知っていたからです。しかし、ヒッツ氏の訳した本を読んで、キリストこそ神を表し、新しい命を人に送り込むものであることを知りました。私が最も愛読しているものは聖書です。私の辞書には悲惨という文字はありません。私は自分の身体的障害を、どんな意味でも神罰だとか不慮の事故であると思いこんだことは一度もありません。もしそんな考え方をしていたら、私は障害を克服する強さを発揮することはできなかったはずです。『神がこらしめられるのは、私たちを子として扱っておられるからである』(ヘブライ12・7)という言葉には、特別な意味がこめられているようです。あらゆる種類の障害は、当人がみずからを開発して真の自由を獲得するように勇気づけるための、愛の鞭ということになります。それらは、石のように堅い心を切り開いて神からの高尚な贈り物を自分の存在の中から見つけ出すために、わたしたちに手渡された道具なのです」と。
 そして、ヘレンは、「神様から愛を頂いて、他人への愛を成長させて頂くこと、これが人生の大切な目的であって、そのために目が見えていようと、見えまいと、関係ないのだ」と言って、どの人も分け隔てなく愛した。「私は人生が与えられているというのは、愛に於いて成長するためであると信じます。そして、死後の生活は、この世で持っていなかった感覚を持ち、私の家は、花の色、音楽、言葉、及び私の愛する人の顔で美しいだろう、ということを信じます。この信仰が無かったら、私の生活は無意味なものとなるでしょう。肉体の感覚を満喫している人々は私を憐れみますが、それは私の生活の中に私が喜んで住んでいる黄金の部屋があるということを知らないからであります」と言っている。
 彼女の最大の功績は、体の障害は世の終わりではないと証したことであろう。「人生での苦闘は、私たちに与えられた最大の恵みの一つである。苦闘は、私たちを忍耐強くし、感受性を鋭くし、神の子としてより相応しい者としてくれる。それは、世の中は苦しみに満ちているが、同時に、苦しみを打ちのめすこともできることを教えてくれる」そう言いながら世界40か国を回って講演し、障害者を励まし、盲人のための基金を設立し、女性の権利、貧困や差別の撲滅、世界の平和を訴えた。
 ヘレン・ケラーが36歳の時、生涯でただ一人の恋人が現われた。相手は彼女の秘書で元新聞記者をしていた29歳のピーター・フェイガンである。フェイガンもヘレンと同様、差別のない社会を目指していた。しかし、二人が結婚しようとすることがヘレンの家族に知れると、かねてからフェイガンを快く思っていなかったヘレンの母親は、彼を解雇し、ヘレンを故郷のアラバマ州に連れてゆき、妹の家に幽閉した。ヘレンの家族は、米国南部の保守的で富裕な名家であったが、黒人差別の激しい南部の白人たちは、黒人の解放に賛成するヘレンのことを快く思っていなかった。そして、社会主義者であり、黒人の解放運動を支持していたフェイガンとの結婚を、家族は反対した。また、ヘレンが結婚して子育てをする普通の家庭生活ができるとは考えられない時代であった。
ヘレンとフェイガンは、暗号で書いた点字の手紙で連絡を取り合った。ある日、お手伝いの女性を介して彼から手紙が届き「夜中にポーチで待て」との駈け落ちの連絡があった。ヘレンはスーツケースに荷物を詰めて一晩中、ポーチで待っていたが、彼は現れなかった。実は彼は数日前からアラバマに来ていたが、ヘレンの妹の夫に発見され、銃で脅され追い返されたのだった。身の危険を感じ、仕方なく結婚を諦め故郷に帰ったフェイガンは、失意のうちに一時は酒に溺れ、アルコール依存症で入院するという荒れた生活をしていたが、後に立ち直って別の女性と結婚した。
 ヘレンはこれについて、自叙伝にこう記している。「この世のどこに、慰めがあるだろう。夫を持ち、母となる喜びを、運命によって阻(はば)まれた私に。今、私の孤独は、無限に広がる闇のようだ。でも幸いに、私にはたくさんの仕事がある。私は信じていられる。かなわなかった私の憧れは、やがて栄光の内に満たされるだろう。目が見えぬことも、耳が遠くなることも、絶えてない世界で。愛され求められた経験が持てただけで、私は幸福である。愛したことが間違いだったのではなく環境が許してくれなかったのだ」と。ヘレン・ケラーに勇気と希望を与えたのは、やがて神の国で完全な体(永遠の命にふさわしい体)が与えられるというキリストの救いであった。


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