2021年御翼2月号その3

       

沈黙の実りは祈り マザー・テレサ

 マザー・テレサにノーベル平和賞が与えられるのではないかと言われるようになった頃、友人の一人がそれを話題にすると、テレサは笑いながら言った。「イエス様が今だと思われるときに賞が与えられるんですね。もし、それがもらえたら、ハンセン病の人たちのために二〇〇の家を建てましょう。だから祈りましょう」と。ノーベル賞が与えられたとき、賞金は十九万ドル(一九七九年当時のレートで約5千万円)であった。早速テレサはそれで、予定していた家を建設したのだった。
 現場で神の御業を体験している者でなければ、福音は力だということを宣言できない。一般の会社であっても、たたき上げの人の方が、説得力があると言われることがあるのと似ている。(たたき上げとは、下積みから苦労して一人前になること。もともとは、職人の世界での言葉であったが、転じて、他の分野でもエリートやキャリア、世襲等のスタートラインから恵まれた状況にあった人との対義語として下積みから努力して一人前になった人に対しての賛辞として用いる。但し、エリートやキャリア、世襲でも違った苦労は当然ある)。教会で言うならば、単立教会では、不動産の購入の借金、返済、担保提供、教会債の発行から雑用まで何でもやる。不動産で苦労した体験が、神の愛を体験するものとなり、それはそのまま福音は力だと宣言する勇気と強さになる。
 資金源もなく、死を待つ人の家を建てたマザー・テレサの言葉には説得力がある。彼女の名刺には以下の言葉が書いてあった。

 

沈黙の実りは祈り
祈りの実りは信仰
信仰の実りは愛
愛の実りは奉仕
奉仕の実りは平和

マザー・テレサ

 「心の平和のなかで生まれる祈りからすべてのことは始まるのです」とテレサは言う。彼女はよく冗談も言う明るい人であったが、沈黙の素晴らしさを知っていた。沈黙は、自分自身と向き合うことであり、神様と出会うことでもある。祈ろうと思ったら、まず沈黙から始めよう。そして、神様に語りかけるのだ。声に出さなくても、心のなかで、「神様、どうやって祈っていいかわかりません。祈り方を教えてください」そう言えば、それはすでに祈りになっている。そして、信頼できる大好きな友だち、お父さんにでも語りかけるように、何でも話してみよう。自分の夢、自分の弱さ、自分の成功、失敗、日々の悩み、願い、そして感謝したいことなど。すると魂に神の霊が降り、素晴らしいものが生まれる。

 マザー・テレサがハンセン病患者たちの村(平和の村)をつくる計画をしていたときのことである。荒地同然の土地は知事が提供してくれたが、建物を造る資金はまったくない。この村の責任者として任命されたシスター・ザビエルが心配そうに尋ねた。「マザー、病院や家を建てるお金は、どうするんですか」と。すると、「私たちは神様のお手伝いをしているのですよ。私たちは、いま与えられた仕事のことだけを考えていればいいのですよ。後のことは、皆、神様が心配してくれます」とマザーは答えた。その時点では何の成算(成功する見込み)もなかったが、マザーには神様の望まれることを神様のためにするのだから、自分の力のおよばないことは、必ず神様が助けてくださるとの揺るぎない確信があった。
ちょうどその時期、ボンベイで聖体大会が開かれ、ローマ法王パウロ六世が訪問していた。そのときのために、アメリカの富豪が儀礼用の自動車・リンカーン・コンチネンタルのコンバーチブル(オープンカー)を寄贈した。法王は帰国にあたって、それをマザー・テレサに贈った。マザーにはこんな高級車を所有している意味はない。彼女は単に転売するのではなく、くじ引きを売り、大勢の人にこの車両を所有するチャンスを与えた。すると、あっという間に資金が工面できたという。
その後、あるジャーナリストがマザーに、「どうしてこのような素晴らしいアイディアを思いついたのですか」と尋ねた。マザーは簡潔に、「祈ったからですよ」とほほえんで答えたのだった。
問題が起きたとき、何も言わずに心を神に向けて祈ろう。その沈黙の中で、神はアイディアを思い浮かべさせてくださる。解決策が与えられるのだ。

 御翼一覧  HOME