2021年御翼3月号その1

       

悪魔と悪魔に対する途―内村鑑三

悪魔 『東京独立雑誌』21号 一八九九(明治三二)年二月(内村鑑三全集6)
 悪魔とは心霊的実在物の全然悪化せし者の称なり、彼は今は善の善なることを識る能(あた)はず、善を見る必ず悪の現象なりと做(な)し、悪ならざる人と物との世に実在することを信ずる能はず、彼は勿論彼れ自身の根本的悪人なるを信じ、従て聖賢君子も悉(ことごと)く悪の動機よりして善人の仮面を被(かぶ)る者なりと信ず、善は彼に取りては悪を遂行する為めの方法なり、人生悪なり、宇宙悪なり、彼に取りては物として悪ならざるはなし、故に悪魔を善に導くの道あるなし、彼は善あるを信ぜざればなり、彼は既に永久に悪たるの地位を落入りし者なり、彼の業は今は彼自身が悪なるが如く他人を悪化するにあり、彼の最も憎む者は神と善人となり、彼の最も喜ぶことは善人の堕落することなり、世に怖(おそ)るべき者の中に悪魔の如きはあらず。

 悪魔に対する途 内村鑑三『聖書之研究』58号 一九〇四(明治三七)年11月(内村鑑三全集12)
悪魔はこれを説服する能はず、それ彼は彼れ以外に真理あるを信ぜざればなり、之を改むる能はず、そは彼は彼以外に善なる者あるを信ぜざればなり、悪魔は否定者なり、拒み否むの外、何事をも為し得ざる者なり、故に彼に対するの途は唯(ただ)放任あるのみ、彼をして思ふ存分に悪を行はしめ、而して自身躬(みづ)から悪の結果を味はしむるにあるのみ、然れども世に吾人(ごじん)の憐憫を惹(ひ)く者にして此状態に陥入りし者の如きはあらず、吾人は特に彼等のために祈り、吾人が彼等に善を為し得べき時機の到来を俟(ま)つべきなり。

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