2021年御翼6月号その1

       

新渡戸稲造(にとべいなぞう)の神道観 

 神道を大切にしているキリスト教会はないのかと検索してみたところ、新渡戸稲造が神道を大切にしていたという論文が見つかった。それは、東北大学大学院文学研究科 日本思想史学研究室 アントニウス・プジョ氏の論文「新渡戸稲造の神道観」(二〇一三年)である。
 旧五千円札に肖像が描かれていた新渡戸稲造は、近代日本思想家の一人として、様々な分野で活躍した人物であり、東京女子大の初代学長を務めるなど、数々のミッション系大学の創立に関わっている。新渡戸は一九〇〇(明治三十三)年、英文で『武士道』を著し、一九一九(大正八)年から八年間、国際連盟事務次長として世界平和のため尽くし、晩年は、日米間の平和実現に全精力を傾注した。一九三三(昭和八)年の秋、新渡戸は軍国主義が台頭する日本の将来を懸念しながら、アメリカの地で天に召されている(享年71歳)。
新渡戸稲造の神道観  アントニウス・プジョ
新渡戸稲造は、神道について次のようにまとめている。(『武士道』、『日本国民』より)
① 道徳的な教義がかけている神道には、仏教と儒教から沢山補充されること。
② 神道の教義には、祖先崇拝があり後に「忠義」になり、自然崇拝は後に「愛国心」になること。
③ 神道には「原罪」の教義なく、道徳的な指令要点「まこと」により、心も体も清くすること。
④ 神道の重要性は二点あり、それは「日本固有」と「皇室の宗教」であること。
⑤ 神道の弱点は「現実」と「真実」の区別がみられないこと。
新渡戸稲造は、一人の日本人として、生涯において神道のあり方は欠かせないものと考えていた。キリスト教の信者になっても新渡戸は神道を完全に捨てなかった。米国留学中、一時神道に対して懐疑を抱いたが、後に、キリスト教(プロテスタント)クエーカー派の「内なる光」という教義に出会うことによって、神道を含め、どの宗教でも、人間の心に宿り、人間の歩む道を照らしてくれるような[光]があるという共通するようなものがあることを彼は初めて理解した。若いときの新渡戸にとって、精神的教養のすべての原泉は神主の説教にあった。それによると、「神は銘々の心に在るといふのである。これならば、吾々も頗る同感である。社に行って神ゐますのではない。銘々の心に神は宿っている」と教えられた。そして、クエーカー主義の特色は、すべての人間に神から照射される「内なる光」の存在を信じ、これを信仰の原点として受け入れるところにあった。各自の心に直接に働く「内なる光」は、教会的伝統や聖書にさえも優先して信仰成立の根拠とされるものだった。
 しかし、宗教といっても神道は、人間一人一人の「個人魂」までは染み込まないと述べている。新渡戸は、これを神道の弱点として指摘し、個人の魂の救済を求めるなら西洋の基盤であるキリスト教を学ばなければならない。また、神道には欠かせない存在である「天皇」について新渡戸は、天皇は「天の代表者」及び「国民統一創造者」として守るべき存在と強調している。新渡戸稲造にとって神道は単なる日本人の特有な遺産として守るべきものではなく、世界遺産として守るべきものとなったのである。

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