2021年御翼8月号その1

       

武士道の神髄 ―― 産経新聞の記事より

 武士道の神髄  尊皇(そんのう)と融合、進化し支えた近代 
編集委員 関 厚夫   産経新聞 令和三年(二〇二一年)
七月十四日より抜粋  ( )内は佐藤 順による説明。
 「武士道は、大なり小なり、日本社会のすべての階層に浸透しており、平時・戦時ともに、日本人が成し遂げたことを最も雄弁に解説してくれている」わが国の「近代科学技術教育の父」と称される英国人、ヘンリー・ダイアーが1909(明治42)年に発表した大著『世界政治の中の日本』の第3章「国民生活の諸要因」の一文だ。・・・
武士道にはいくつかの系譜と解釈がある。「禅宗や儒教に裏づけられて江戸時代に大成した。『葉隠(はがくれ)』(山本常朝(つねとも)述)のように、善悪・正不正を問わないで死を賭(と)して主君に奉公する考え方と、山鹿素行(やまがそこう―― 江戸時代前期の儒学者、軍学者)のように、主君・家来ともに儒教倫理に基礎をおいて振舞う士道の考え方とに分かれる。忠孝(ちゅうこう―― 主君に対する忠誠と、親に対する誠心の奉仕)・尚武(しょうぶ―― 武道・軍事などを大切なものと考えること)・信義(しんぎ―― 約束を守り相手に対する道義的な務めを果たすこと)・節操(せっそう―― 自分の信じる主義・主張などを守りとおすこと)・廉恥(れんち―― 心が潔白・正直で、恥を知る心が強いこと)・礼儀などを重んじる」『日本国語大辞典』の「武士道」の解説である。・・・新渡戸以降の武士道論については「明治武士道」として区別すべし―― との見方もある。・・・「真の武士にとって死を急いだり、死を求めたりするのは卑怯に値した。(中略)武士道の教えとは、いかなる災厄や逆境にも隠忍(いんにん―― 苦しみを心中に隠して堪え忍ぶこと)とまことの良心をもって耐え抜き、立ち向かうことである」新渡戸の『武士道』の第10章および12章の一節だ(原文は英文)。 
 ダイアーは、立憲君主制(君主の権力が憲法によって規制されている政体)と武士道との融合が近代国家・日本の未来を担うと考えていた。彼は1904年に発表した別の大著『大日本』の19章「将来」でまずこう論じている。「・・・明治天皇は憲法の条文にまったくもって忠実である。また彼が英知と愛国心の持ち主であることを幾度も証明したことによって、日本が昔のような専制政治に舞い戻るなどという危険性は皆無であることが自明となった」明治・大正期に教育・言論界や政界に足跡を残した横井時雄(牧師・教育者・政治家。横井小楠の長男で矢島楫子の甥。配偶者の山本みねは、山本覚馬の次女)という人がいる。・・・時雄はキリスト教に入信後、同志社英学校に学び、同志社総長や衆議院議員などを歴任した。ダイアーは前掲の記述に続けて時雄の以下の文章を引用している。「君主の天与の権利と国民の天与の権利に関し、欧州ではその優先順位をめぐってあまたの激しい論争を呼び起こしている。この2つの真理をいかに調和させるのかは目下、わが国の政治家たちを悩ませ続けている問題だが、彼らには共通認識がある。それは、何よりも国民の天皇への厚い忠誠心によって『日本丸』は近年のいくつもの困難を乗り切ってきたのであり、皇室こそが、国内で不和や軋轢(あつれき)が多数存在しているにもかかわらず、今日国民を1つにしているということである」
 「『至高の勝利は血を流すことなく得られるものである』などといった言葉は結局、武士道の究極の理想は平和であることを明らかにしている」新渡戸は『武士道』の13章でそう説いている。この一文を脳裏に浮かべながら、ダイアーは『大日本』の「立憲君主制と武士道」の項を以下のように締めくくったのではないか。「天皇に対する厚い忠誠心と愛国の精神によってすべての日本人はもっぱら個人的、あるいは党派的な理由を脇に追いやるだけでなく、おそらく、いくつかの欧州列強の侵略的な外交政策がもたらす危機をも切り抜けることだろう。またこの天皇への忠誠心と愛国の精神によって日本古来の『武士道』が現今の状況にふさわしい形で蘇り、目下、世界政治の水平線上に姿をみせつつある数々の困難を解決することになるだろう」いまに通じる至言である。

 明治二十五年に発行された横井時雄著『日本の道徳と基督教』(警醒社書店)には、以下のように書かれている、「基督教は儀式、慣習、信条等に非ず、基督教とはキリストを信じて宇宙の神と親和し、此信仰の力に由ってキリストの如き人物となるに在り」と記されている。更に、「一時代の思想或は其慣習より上に永遠の主義あり…敬虔の心を深ふして…天よりの指揮誘導を求めざるべからず、是れ實に明治維新の際に當って我 天皇陛下が天地に向って誓ひ玉ひし精神に外ならざるなり、されば吾人(ごじん)は此宇宙に獨一(どくいつ)の神あり此神は獨一に主イエスキリストの中に發現す」とあった。
明治天皇は、ご自分は精神的にはクリスチャンであると言われた。特にそれ以降、皇室とキリスト教との関連性がうかがえる。天皇陛下はキリストの姿に倣おうとしておられる(貴い器になろうとしている)と受け止めよう。その生き方が良い家庭、良い国家へと導かれるのだ。


ケン・シゲマツ『忙しい人を支える賢者の生活リズム』(いのちのことば社)より抜粋・要約

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