2021年御翼8月号その2

       

「やめる」がテーマの本 ―― ジェリ・スキャゼロ

   いのちのことば社から、「やめる」ことがテーマの本『自分の人生を生きるために、やめるべき8つのこと』が出版された。著者は米国の牧師夫人である。以下に内容を抜粋する。
やめるということは、神に属さないことに対して死ぬということです。聖書にかなうやり方でやめることは、私たちの人生の中に新しいことが生まれるため、つまり復活のための神の道筋です。
 やめることを恐れる声が、心の中で響いています「人はなんと思うだろう?」「私は自己中心で、キリストに似ているとは言えない」「人を傷つけてしまう」「まわりのことがバラバラになっちゃう」「夫婦関係がだめになる」これらの恐れに屈してしまうと、行き詰まってしまい、キリストのために良い実をもたらすことができなくなってしまいます。最初のやめること、「人が自分をどう思うかを恐れるのをやめる」を学びましょう。

第1章 人が自分をどう思うか恐れるのをやめる
自分の価値を認めるために人の評価に頼ることは、聖書の真理とはまったく矛盾しています。自分は愛される価値があるか、これで十分良いのかという感覚は、他の人の評価に左右されるものではなく、二つの土台となる事実をよりどころとするものでなければなりません。
(1)私たちは神のかたちに造られている。神のかたちに造られているとは、私たちは生まれながらに価値があるということです。(2)キリストとの関係に入るとき、私たちにはキリストにある新しいアイデンティティが与えられます。神との関係については、イエスの罪のない過去に依存するのです。私たちはキリストのゆえに愛される価値があり、「これで良い」のであり十分なのです。証明する必要は一切ありません。
人から私は良いクリスチャンであり、良い人であると思ってもらわなければなりませんでした。その結果、自分が惨めな状態であるときでも、「ノー」と言わずに「イエス」と言うことがよくありました。私は、自分が健康になるために変わるときに最大の障害になっているのは、人からどう思われるかへの恐れであったことを、やっと認めることができたのです。

神のためだけに自分自身を愛する
今日多くのクリスチャンにとっては、キリストにある神の愛は頭での理解にとどまっており、自分についてどう考え、感じるかが変わるほどまでに神の愛を経験していないようです。その結果、私たちは他の人からの愛を不健全なかたちで求めてしまいます。十二世紀の偉大なキリスト教指導者であるクレルヴォーのベルナルドゥスは、神の愛がどのようにして健全な自己愛へと導いてくれるかについて語っています。彼はこれを、愛の四段階と呼んでいます。
① 自分のために自分を愛する。私たちは、地獄ではなく天国に行きたいので「正しい」ことをする、すなわち礼拝出席や祈り、什一献金をする。地獄の恐怖が取り除かれたら、霊的生活は一挙に崩壊する。
② 神からの賜物や祝福のゆえに神を愛する。物事が上手くいっているかぎり神と良い関係にあるが、試練や挫折が来ると失望して神を避けるようになる。
③ 神ご自身のゆえに神を愛する。自分の感情や状況に左右されず、神を愛する。そのご人格の麗しさと善さのゆえに神を愛し、信頼するのであって、何かを得られるからではない。行き詰まりや苦しみは、神に対する信仰や愛を深めるために与えられる賜物と考える。
④ 神のためだけに自分を愛する。第四番目のもっとも崇高な段階では、人知をはるかに超えたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さが、いまや自分の実存の深みにまで及ぶので、代わりに他の人の愛で満たす必要がもはやない。
私たちには価値があり、重要な存在ですが、それは何かをしているからでも、他の人がそう言うからでもありません。神が愛してくださるから、私たちには「愛される価値」があるのです。神の完全な愛は、他の人が自分のことをどう思うか、という恐れを締め出してくれます。
私が(人が自分をどう思うか恐れるのを)やめたときに…自分のいのちを取り戻したのです。そしてそれに続いて、自分だけでなく夫も夫婦関係も、子どもたち、教会そして無数の人々にも新しいいのちをもたらすことになったのです。私は自分の努力で御霊の実を結ぼうとしていました。しかし、神の方法で生きるときに、当たり前のように果樹園には実がなるのです。
ケン・シゲマツ『忙しい人を支える賢者の生活リズム』(いのちのことば社)より抜粋・要約

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