2021年御翼8月号その3

       

愛を実践するには、真理に生きなければならない―― ジェリ・スキャゼロ

  以下は、ジェリ・スキャゼロ『情緒的に健康な女性をめざして 自分の人生を生きるために、やめるべき8つのこと』(いのちのことば社)の「第2章 嘘をつくのをやめる」からである。
「良い」クリスチャンが嘘をついてしまう、と著者は言う。怒り、悲しみ、失望を感じていても、見ないふりをしてしまう。なぜならば、クリスチャンライフは喜びにあふれていなければならないからである。しかし、人間は真理のうちに生きるよう、神が最初からご計画されていた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8・31~32)この真理は、神についての聖書の真理と、一般的に言う真理の両方を指している。イエス・キリストに従う者として、私たちがどれだけ自由に生きられるかは、どれだけ真理のうちに生きるかにかかっているのだ。
神は究極の真理なので、自分が真理のうちに生きていないときには、いつも神を自分の人生から閉め出していることになってしまう。嘘をつくとき、私たちは神の支配ではなく、サタンの支配下にある。イエス様はサタンを「偽りの父」(ヨハネ8・44)と呼んでおり、その支配下で私たちはさまざまな攻撃やだましの餌食になってしまう。心の中で嘘をつき続けていては、人を真の意味で愛することはできない。内面に悲しみや怒りが抑え込まれており、何をし出すかわからない、危険な存在になってしまうからである。
旧約聖書に登場するエリヤもヨナも、死にたいと正直に言い、そこでは嘘をついていない(I列王19・1~5、ヨナ4・8「太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。『私は生きているより死んだほうがましだ。』」)神は、私たちがご自分との関係をごまかしたり、隠したりすることを望んでおられない。私たちが、失望や葛藤、それに伴う混乱した感情を神に向けるほど、神を深く知ることができる。御言葉や神の恵みが、新鮮さをもって生き生きと感じられるようになるのだ。
クリスティーナは美容院から帰ってくると、新聞を読んでいる夫に尋ねた。「マイク、この髪型好き?」と。夫はちらっと見て、興味なさそうに新しい髪型に目をやり、「あんまり」と新聞に戻った。「なによ! あなたの無神経さって信じられない!」と、クリスティーナは傷つき、怒って、洗面所に行き、明らかに失敗と言える髪型をよく見直す。こんなとき、マイクはどうすればよかったのであろうか。妻を傷つけるより、ちょっとした嘘で、「素敵だよ」と言って、喜ばせたほうが愛にあふれているように思えるかもしれない。しかし、それは真実ではなく、髪型一つでさえキリストの愛からそれる原因となりえるのだ。マイクは、嘘をつかずに、もう少し優しい心で真実を言うことができる。例えば、「ありのままのきみを愛してるよ。きみがその髪型が好きならそれでいいんだよ。ぼくが好きかどうかよりね。でも、それでも知りたいなら言うけど、ぼくは別な髪型のほうが好きだな」あるいは、「その髪型はぼくの好みではないけれど、きみはいつも美しいよ」と。
 嘘をつけば、天とは疎遠となり、人から信頼されなくなり、ストレスが増す。どんな嘘をついたのか覚えていなくてはならないので、いつも不安になる。そして、私たちの存在の目的である、神と人とを愛することができなくなっていく。今日のクリスチャン文化の特徴となっている、表面的に「良い人」を振る舞うことに終止符を打ったら、解放感、自由を経験し、人との関係はより「ホンモノ」になっていく。神と、自分と、人との平和が広がっていく。自分に、人に、神に嘘をつくのをやめるとき、それまで埋もれていた自分の良い部分も罪深い部分も含めたすべてが現れる。
ケン・シゲマツ『忙しい人を支える賢者の生活リズム』(いのちのことば社)より抜粋・要約

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