2021年御翼9月号その2

       

クリスチャンの海軍大尉(だいい) --- 片山日出雄(ひでお) 

  敗戦から二年後の一九四七(昭和二二)年、南太平洋上ラバウルにある戦犯刑務所で、クリスチャンの元日本海軍将校・片山日出雄(29歳)が銃殺刑となった。将来は貿易関係に進みたいと、戦前、東京外語大学に入学した片山は、三田メソジスト教会に通うクリスチャンであった。彼は軍人になってからも実に優しく、「こんなに優しい人が軍人にもいるのか」と周囲の者を驚かせた。しかし、曲がったことは大嫌いで、柔道五段、ポケットにいつも美しいバレリーナの写真を持っていて、「俺の永遠の恋人だ」とニコニコしていた。独身の後輩たちは、それが片山の妻だったとは知らず、「恋人がいる」先輩を大いに羨ましがった。
 卒業の年に太平洋戦争が始まり、通信将校としてインドネシア・アンボン島に配属され、敗戦と共に帰還する。しかし、一年半後の一九四六年二月、戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨プリズンに収監、その後、ラバウルの戦犯刑務所に送られる。そこで通訳者となっていた片山は、日本人全体を代表していたので、連合軍の看守たちから言いがかりをつけられ、時にはリンチに遭い、全身血だらけになった。そんな地獄のような場所でも笑顔を絶やすことなく、皆を励ました。刑務所内の虐待は日々苛烈(かれつ)さを増し、かつての戦友たちの処刑が次々と始まる中で、片山は自分の使命に目覚める。激しい苦悩にある収監者たちに福音を宣べ伝えるため、戦犯刑務所内に送り込まれたのだという自覚であった。片山は、自分の処刑が迫っていながら、優れた英語力を活かして、台湾出身の兵士など同僚たちの自己弁明書を英文にして法廷に提出、多くの戦犯の命を救った。同時に聖書を読む集まり「光教会」を始め、オーストラリア軍従軍牧師の協力を得て、収容所内で福音を伝え、死刑前日に仲間が洗礼を受けるといったことも起こった。
一九四七(昭和二十二)年、片山は戦時中に連合軍捕虜四名を日本刀で殺害したとして、わずか四日間の戦犯裁判の後、銃殺刑となった。実際に連合軍捕虜の処刑を命じた日本軍の上官たちは、アリバイ工作などをして罪を逃れ、その部下に罪を負わせることが多かった。片山も罪を背負わされた一人であり、捕虜の処刑に一切関わっていないと、彼の手紙や日記に記されている。
自分の再審請求がかなわないことを悟ったと思われる一九四六年九月、片山日出雄は信仰の遺書ともいうべき「日本のキリスト者の皆さまへ」と題する長文を著している。片山が自ら記したその英語版「To All Japanese Christians」は、当時、オーストラリア軍兵士たちにも読まれて感銘を与え、現在オーストラリアの戦争記念資料館にその全文(9頁)が保存されている。

日本のキリスト者の皆さまへ(片山日出雄海軍大尉の遺書抜粋)
キリストの僕から主にあるご挨拶を申し上げます。私がこの地上を去る時がいよいよ近づきました。すべてのクリスチャンが体験することですが、クリスチャンとしての最大の喜びは、最も暗い日々の中で、最も厳しい試練の中で与えられるものです。いわゆる人生の不幸というものによって、クリスチャンたちはより洗練され、恵に満ち、よりキリストに近づく者とされるのです。未来は主のものであり、主が必ず真実を立証してくださるので、クリスチャンたちはどんな状況に対しても、忍耐と穏やかさをもって対処しなければなりません。
 戦時中のことを回顧して、私個人としては濠州人に対して悪しきことをいささかなりともしたとは思いません。しかし、私はキリストが人類の救いのために血を流されたように、自分も、神の目から見て日本が犯した過ちのために、自分が命を捧げられることに最大の意味を見出しています。私はキリストとの聖なる交わりに喜びを得ています。そして、キリストのために負うくびきは軽いのです。
死刑の宣告を受けた時に誰か他の人が宣告を受けたような気がして、自分が受けたのではないような気がしました。私にとっては人の審きによって審かれたことは実に小さな問題であると言はなければなりません。私を審くものは主であり、私の証は天にあり、裁判記録はそこにあるのです。私は主の公判廷に於いて釈放され、主が従ふ者のみに与え給ふと約束された生命の冠を主より受けるのです。
私は戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。それゆえ、義の栄冠が私のために用意されているのです。正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。
 日本のクリスチャンの皆様、私にとってこの世で残された時間は長くはないようです。その短命に引き換えとして私にできることは、福音を宣べ伝えることです。世界が一つの家族として愛と平和に包まれるために最も必要なのは悔い改めです。人類が抱える最大の問題は人間自身なのです。一に悔い改め、二に悔い改め、三に悔い改めです(悔い改め―ギリシア語のメタノイア―は、180度心の向きを変える事。自己中心から御心を求めるように方向転換すること。くよくよすることではない)。
 数年前、キリシタンの殉教の歴史を読んだとき、自分自身が殉教するとは夢にも思いませんでした。しかし、測り知れない神のご意志により、私は選ばれ、神の恩寵のまだ及ばぬ愛する祖国の罪(つみ)咎(とが)を償(つぐな)うために、この隠れた任務を与えられました。感謝! 感謝! 見えざる神の強き御業には感謝のほかにはありません。
主の忠実なる僕 帝国海軍大尉 片山日出雄 
(昭和二十一年九月一日付のメッセージ)

この遺書から一年一ヶ月後の昭和二十二年十月二十三日、片山は戦犯(戦争犯罪、敵兵や捕虜を非人道的に扱うこと)として処刑される。クリスチャンの妻に宛てた遺書の中で片山は、自分を銃殺刑に陥れた人たちに恨みを持たないように勧めている。その朝、収容所の仲間たちに笑顔で別れを告げ、刑場に立った片山は、自分に銃を向ける十人の兵士たちとオーストラリア軍関係者に丁重に感謝を述べ、聖書を読み(「父よ、彼らをお赦し下さい」)、讃美歌「主よ、みもとに近づかん」を歌い、「主の祈り」を祈った後、天に召されていった(片山は、人を銃殺するという重い任務を遂行する兵士らに、同情の気持ちを持っている、と記していた)。


ケン・シゲマツ『忙しい人を支える賢者の生活リズム』(いのちのことば社)より抜粋・要約

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