2021年御翼9月号その3

       

リモートだけでは教会は成り立たない 

 対面とリモートには、それぞれ長所・短所がある。
客観的なデータを伝えるには、リモートの方が有利。事務的な情報が相手に正確に伝わり、理解が深まりやすい。一方、感情的なものを求めたいときは対面の方が圧倒的に有利である。心理的なものは読みやすく、嘘もわかりやすい。信頼関係を築きやすいのも対面である。
 例えば、新人社員が、上司や同僚と一度も会わずに、スムーズにチームに入っていくのはかなり難しいことだと思います。少なくとも上司とは何度か対面で話し合い、誠実な人で信頼できるかどうかを、確かめ合う必要がある。データや相手の能力への信頼はリモートで測れても、信頼関係を構築するには、「非言語的な手がかり(表情やジェスチャー、声の調子)」が得られる対面がよい。
 リモートは、手軽にやり取りができ、時間や場所の拘束が少ないが、相手の反応は分かりにくいし、やり取りが一方的になりやすく、関係を継続させることは難しい。その意味で、オンラインだけでは、キリストの体である教会は成り立たない。
 情報のやりとりだけではないのが教会である。互いに配慮し合うためには、対面していなければならないが、福音の基本である以下の情報を、信頼を以って伝えるためにも、対面でなければならない。

神に近づく方法 (『Fire Bible―ファイヤーバイブル』より)
神のご計画ーー永遠のいのち 
神はあなたを愛しておられます。そして目的をもってあなたを造られました。その目的とはあなたが神を知り、神とじかに親しい関係を永遠に持つようになることでした。
(ヨハネ10・10「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」新改訳二〇一七)
人間にある問題ーー罪と分離
私たち人間は自分の生き方を自分で勝手に決めて行動したため、神の定められた完全な基準に到達できなくなりました。そして神が望まれた幸いな人生を送ることができなくなりました。このように神に逆らっていることが、実は罪と呼ばれるものなのです。その罪によって、私たちは神から離れ神との関係を持つことができなくなっています。罪は神の完全なご性質とは全く反対のものです。したがって罪を犯している人は厳しく処罰されなければなりません。その処罰とは死であり神から永遠に見捨てられることです。(ローマ3・23「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」新共同訳)
神による解決ーーイエス・キリスト
私たちの行うことはみな不完全ですから、どんなに努力をしても神に近付くことができません。そこで神はご自分から罪の罰を全部背負うことにしました。そしてひとり子イエスをこの世界に送り、私たちに代わって死ぬようにされました。そのことによって神と人間との間の橋渡しができました。私たちはこの方を通してはじめて神に近付くことができるのです。
(ペテロ第一3・18「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。」新改訳二〇一七)
個人的な応答――告白と信仰
私たちはイエス・キリストの犠牲によって新しい人生が与えられると信じ、今までの罪深い人生から離れるように応答をするべきです。キリストがくださる救いは愛の贈り物ですから、ただ信じて受け取ればよいのです。
(ヨハネ第一1・9「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」)
ケン・シゲマツ『忙しい人を支える賢者の生活リズム』(いのちのことば社)より抜粋・要約

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