2022年御翼1月号その3

 

新らしき誡め 明治39年11月10日『聖書之研究』81号 内村鑑三全集14より抜粋

キリストが在世中、弟子等の模範とならんために彼等を愛し給ひし如く、其如く、又はそれと同じ性質の愛を以て彼等互に相愛すべしとのことであります、キリストの愛其物が新らしい愛でありましたから此愛を以て相愛すべしとの誡めは新らしい誡めでなくてはなりません。…
我は善き牧者なり、善き牧者は羊のために命を捐(す)つ(約翰(ヨハネ)伝十章十一節)、是れキリストが其弟子を愛せられし愛の一斑(いっぱん―全体のごく一部)であります、…即ち強き者は弱き者の婢僕(ひぼく―召使い)となるの覚悟を以て互に相役(つか)ふべしとのことであります、是れ確かに新らしき誡めであります、…爾(しか)うして斯(こ)う為(す)るのは何にも功徳(くどく)のためではありません、自己の潔白を表顕するためでもありません、「愛を心に懐く」からであります、愛が此謙遜を帯ぶるに至りますまでは之をキリストの愛といふことは出来ません。…私供の心に確かに愛はないのであります、…然らば私供は…神より愛を賜はらんことを祈るべきであります、私供は度々(たびたび)愛は神の最大の賜物であることを忘れます、…爾うして自己の愛の無いのを見て失望し、返て神より遠ざからんとします、然しながら是れは誤つたる考へであります、私供は直に神の宝座(みくら)に近(ちかづ)いて愛に満たされんことを祈るべきであります、…
今や我国の基督教は旧時期を去て新時期に入らんとしつゝあると思ひます、旧来の西洋伝来の基督教は既に其為(な)すべきだけのことを為し了(お)はつたと思ひます、故に若し此上基督教其物が発展しませんならば我国に於ける是れ以上のその発達は覚束(おぼつか)ないと思ひます、爾うして基督教の発展とは何んであります乎、其真理の発揚であります、基督教は未だ其精力を消尽(しょうじん)しません、神は日本人に命じて其新発展を待ちつゝあり給ふと信じます、今やすべての方面に於て日本人は欧米人を凌駕(りょうが)しつゝあるではありません乎、下瀬火薬の如き、木村式無線電信の如き、皆な欧米人以上の新発明ではありません乎、爾(そ)うして惟(ひと)り宗教に於てのみ我等は西洋人の糟糠(かす)を何時までも嘗(な)めて居らなければならないのであります乎、私はそれは神の聖意ではないと思ひます、我等日本人は宗教に於ても、然り、殊に宗教に於て欧米人以上に出なければなりません。
爾うして彼等以上に出るとは彼等以上の言語学的発見をなし、彼等以上の教義的明確に達すると言ふことではありません、此事も為しませう、然かし是れよりも大切なる事があります、それは愛に於て上進することであります、日本国に於て宗派的偏執を全く絶つことであります、かの冷たき、理論と法則と儀式とを以て維持せんとする欧米流の基督教に代ふるに温かき、霊と生命(いのち)と愛とを以てする新たなる基督教を以てすべきであります、我等は富と智識とに於ては彼等に及ばざる所ありとするも、聖霊の力なる愛に於ては彼等以上に立たんとする聖望を懐くべきであると思ひます、斯くしてこそこの浅間山の麓、千曲川の辺(ほとり)より世界を動かすの勢力(ちから)が湧き出るのであると思ひます。


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