2022年御翼2月号その1

 

「鶴女房」から「夕鶴」へ―― 木下順二

 木下順二の「夕鶴」は、佐渡島に語り伝えられる民話「鶴女房」にもとづいた作品とされる(「鶴の恩返し」などの話として知られる類似の民話は、静岡や山形をはじめ各地にある)。貧しい農夫が、矢がささった鶴を助けてあげる。後日、一人のきれいな姉さんが訪れ、嫁となってくれた。そして、「織っているところは決して見ないで」と言って、織物小屋にこもり、見事な織物を織ってくれた。農夫はそれを売り、大金を手にする。彼は欲が出て、次々と織物を頼み、好奇心から小屋を覗いてしまう。そこにはせっせと織っている一羽の鶴がいた。約束を破られた鶴は、家にいることはできないと告げて飛び去ってしまう。これをもとに木下は、戦中の一九四三(昭和一八)年に最初の作品「鶴女房」を書く。もとの昔話は、「鶴の恩返し」ともいわれるように、動物愛護による善因(ぜんいん)善果(ぜんか)(よい行いをしていれば、いずれよい結果に報いられるということ)の奨励と欲心を戒めた教訓の話とみられる。
 戦後の一九四九(昭和二四)年、「鶴女房」を「夕鶴」と題も改めて書き直した。「夕鶴」は、明らかに単なる動物の恩返しの話ではなくなっている。「与ひょう」は、もともと無知なうえに善良無垢そのものといってよい人間だった。それが、搾取をたくらむ悪い人間にそそのかされて金銭欲をたかめ、「つう」とかわした約束を破るという背信行為によって、最後には「つう」に去られてしまう。木下自身は、「旧稿」を直した点を二つあげている。一点はせりふで、「つう」と他の人間を同質のせりふで書いていたものを、「つう」だけは異質のせりふにした。具体的には、他の人間は方言もふくんだ共通語であるのに対し、「つう」だけは「純粋な日本語」にした。それが二つの別の世界の表現になっている。もう一点は、同じことしゃべっているのに、ある瞬間から決定的にわからなくなるという断絶」が表現されている。
 言葉が通じなくなることで、容易に想起される故事は、旧約聖書創世記一一章にあるバベル(みだれ)の塔の話である。それまで、全地はひとつの言語のみであったところ、人々が天にも届く塔を建てようとすると、神は言葉を乱し、野望をくだいた。
 「夕鶴」では、一見無知無欲にみえた「与ひょう」までが、悪い者たちにそそのかされ、欲をつのらせ、「布を織れ」とわめきちらす鬼に変貌してしまう。そこでは「つう」との間の言葉の断絶が生じ、「つう」は「与ひょう」のもとを去らざるをえなくなるのだ。元の話が因果応報の話で終わるが、木下の「夕鶴」は、より深い人間のエゴイズムに根ざす背信や、バベルの塔の話が示すような天にまで達せんとする、人間の神化という冒涜を描いているといえる。しかし、それと同時に、言葉を通じなくしたままでは終わらせていない。それは、「つう」に去られて孤独の淋しさに追い込まれた「与ひょう」が、最後に天に向かって叫ぶ「つう……つう……」の悲痛な呼びかけに、かすかな希望が見出されるのだ。「つう」の文字通りわが身を削る機織という犠牲によって、「与ひょう」は忘れていた大事なものに気づかされるからである。「与ひょう」は自分の「大失敗」を通じて大切なものの回復の兆しが認められるのである。(鈴木範久『近代日本のバイブル』より)
 木下順二は、昭和七年に日本メソヂスト教会の三年坂教会で本田正一牧師から受洗したクリスチャンであった。母もまもなく熊本ルーテル教会で石松量蔵牧師から洗礼を受けている。この下は学生時代は東京大学学生基督教青年会館に入舎、以後、実に十七年間も同会館で生活していた。因果応報の話に、聖書的な価値観、神の前における人間の罪、そしてキリストのような犠牲愛をテーマにしたとき、「夕鶴」はオペラにもなるほどの名作となった。


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