2022年御翼2月号その4

 

肉の行動と霊の結果ーー内村鑑三

 加拉(ガラ)太(テヤ)書の研究より抜粋  内村鑑三全集29
人は其心の衷(うち)に於て二大勢力の競争地である。其一が肉であつて、其他の者が霊である。肉とは肉を本拠として働く悪の霊であつて、霊とは霊に宿り給ふ神の霊である。…そして人は二者の間に介して、其一に従はなければならない。肉に従はん乎(か)、彼は悪人である。霊に従はん乎、彼は善人である。彼は道徳家であると称して其行為を一々自由意志の選択に由て定むるのではない。彼は或(あるい)は肉に与(く)みして其の慾を為す乎、或は霊に与して其欲する所に従ふ乎、二者何(いず)れをか択(えら)ぶのである。政治界に於ける所謂(いわゆる)「陣笠(じんがさ)」の如き者であつて、自己の欲する所を為すに非ずして、其所属の政党の政策に従つて行動するのである。 
彼の自由意志は己が身を投ずべき政党選択の際に用ひらるゝのであつて、其他の事に於ては凡(すべ)て己が身を委(ゆだ)ねし政党即ち勢力に従つて動くのである。…人は一々己が欲する所を為すのではない。肉に従ふ者は肉の欲する所を為し、霊に従ふ者は霊の欲する所を為す。憐むべきかな人は自主に非ずして奴隷である。肉の奴隷に非れば霊の奴霊である。然れども肉か霊か、悪魔か神か、己が身を任かすべき主人を択むに方(あた)り、其選択の自由は之を己に保有するのである。
 其れ故に若(も)し肉の慾を為さゞらんと欲せば如何(いか)に為すべき乎と云(い)ふに、汝等霊に由りて行ふべし」とパウロは教ふるのである。霊に与みすべし、其の勢力に己を委ぬべし、然らば肉の慾を為すこと莫(なか)らんと。又曰(い)ふ「汝等もし霊に導かるゝならば汝等は律法(おきて)の下に在らざるなり」と。…人は自由意志と称して、自分一個の力を以て悪を離れて善に就くのではない。霊なる勢力に与みして、其導く所となりて、罪に対して自由たるを得るのである。…
自制なきが肉の行動の特性である。故に統一がない、勝手放題である。己を汚し、神を瀆(けが)し、隣人を傷(きずつ)く。…肉の行動に対して霊の結ぶ果(み)がある。…霊の結ぶ果は肉の行動と異なり惟一(ゆいいつ)である。唯(ただ)其の現はれの方面が異(ちが)ふのみである。之を総称して愛を云ふ。自己に在りては歓喜と平和である。隣人に対しては忍耐又慈悲又良善である。忍耐は隣人の欠点に対し、慈悲は其窮乏に対し、良善は彼等隣人に対する全体の態度である。而(しか)して彼の性格は忠信柔和であつて、…凡ての点に於て肉の行動と正反対である。肉は人を破壊に誘ひ、霊は保全に導く。…「己が肉の為に種(ま)く者は肉より敗壊を穫(か)りとり、霊の為に種く者は窮(かぎ)りなき生命を穫りとるべし」とあるが如し(加拉太書六章八節)。真の善行は果(み)である行動(はたらき)でない。自然に結ぶものであつて、 努力して成るものでない。


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