2022年御翼3月号その4

 

前川 清 ファミリーヒストリー

 長崎県長崎市郊外にある カトリック信者の墓所に、前川家の墓がある。眠っているのは 清の祖父母・父・母・そして兄。前川家は 代々クリスチャンだった。現在の長崎市外海地区にある出津カトリック教会(国の重要文化財、世界遺産として登録されている)の洗礼台帳を見ると、清の高祖母(1819年に生まれ)ツヤは、明治13年 60歳の時にド・ロ神父から 洗礼を受けていた。そして、ツヤがド・ロ神父から正式な洗礼を受ける前、キリスト教が禁止されていた江戸時代に洗礼を授けられていたことも分かった。外海地区は慶長17(1612)年キリスト教の禁止令が出てから明治6年までの 250年以上ひそかに信仰を続ける潜伏キリシタンが暮らしていた地であった。遠藤周作が 江戸時代初期のキリシタン弾圧を描いた小説 「沈黙」の舞台になったのも、前川家の暮らした外海地区であった。
 造船所で大工として働く清の父・海蔵も、飽の浦教会に通うカトリック信者で、浪曲が大好きで相当の腕前だったという。昭和13年、23歳の海蔵は、長崎市内の病院で看護師をしている外海地区の出身のカトリック信者・今村ハツ(22歳)と結婚する。結婚後、ハツは仕事を辞め、子育てをしながら忙しく働く海蔵を支えた。次男の清は、昭和23年生まれ、「セバスチャン」という洗礼名を授かっている。清は幼い頃から佐世保市内にある俵町教会に、母に連れられ通った。平成13年に発行された俵町教会 50年史に清が教会に寄稿した文章がある。「僕の母は熱心な信者でした。母の思い出と教会は、僕の頭の中で切り離すことのできないほど結びついています。母を思い出す時の周りの風景は、不思議と教会のどこかなんです」と。ハツは 教会の活動を通じて地域の困っている人たちを支えていた。
 当時 日中戦争は 長期化し、昭和16年26歳の海蔵は臨時召集により陸軍に入隊、海蔵が向かった先は中国大陸 旧満州だった。満州で終戦を迎えた海蔵は、ソ連軍に捕らえられ、終戦から1年6か月の間、資材の撤去などの労役に従事させられた。場所は中国遼東半島の相当に寒い地域で、海蔵は寒さに耐えようと酒を飲み始める。昭和22年、32歳で帰還した海蔵は、「人が変わっていた」という。戦後は米軍佐世保基地内で船の修理にあたり、仕事はできた海蔵であるが、中国で寒さをしのぐためにアルコールを口にして以来やめられなくなっていた。「酒もタバコも吸わんと本当にいいお父さんが、戦争から帰ってきたら人が変わってった。こんな父ちゃんじゃなかったの」といつもハツは言っていたという(長女)。矛先はハツと長男の武に向けられたが、武はわずか11歳で日射病のため亡くなる。長男を亡くした父は、清をこの上なく可愛がったという。
 前川清さんは、隠れキリシタンの末裔であり、悔い改めの信仰は受け継がれているのであろう。
ファミリーヒストリー「前川清」NHK‐G 2022.3.4放送より


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