2022年御翼7月号その4

 

「生きる力」と「生きていく力」の違い ―― 柏木哲夫医師

柏木先生は、「生きる力」と「生きていく力」の違いをこう説明する。だんだんと弱っていくホスピスの患者さんの多くが「先生。なんか弱ってきて、生きる力がありません」と言われる。一方、精神科の外来で(先生は45歳までずっと、精神科の臨床に従事しておられた)、うつ病の患者さんに「いかがですか」と聞くと、患者さんは「先生、なんか憂うつで先が見えなくて、もうなんか生きていく力が出ません」と答える。生きる力は肉体に関係して、生きていく力は、心や魂に関係しているのだ。
生きる意味、存在の意味が感じられなくなることが、生きていく力がないということになる。そこで、生きていく力(人生の実力)をしっかり持つためには、以下の要素が大切だという。
① プラス面を見る力
 どんな物事にも必ず、例外なくプラス面とマイナス面がある。これは、鉄則である。そこで、しっかりプラス面に目を向けることができるかどうかが、人生の実力と非常に関係がある。劇作家のジョージ・バーナード・ショーは、「経験そのものが人を成長させるのではない。人を成長させるのは経験への態度である」と 言っている。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(コリント第一10・13)。人生に試練はつきものであるが、神様が脱出の道を備えると約束してくださっているという、このプラス面にしっかりと目を向けていけば、私たちは弱くても、非常に強い味方がいるという安心感の中で生きていける。
② いらだたない訓練
 いらだたない訓練をしていくと、人生の実力が少しずつついてくる。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8・28)。今は大変だけれども、きっと神様が何とかしてくださる、そういうふうに神様に信頼を置いた気楽さを持とう。これは、能天気などではなく、根拠がある気楽である。
③ 決断した結果を良しとする
 すべての決断に、プラスとマイナスがある。結婚相手を決めた時も、その例外ではないが、その決断は良しとすべきである。
 そのためには、決断の主体が、良い決断ができる心の状態、魂の状態を保っていることが不可欠である。そのために、柏木先生は毎朝、必ず四つの祈りをする。第一、その日の自分の予定が守られるように、第二の祈りは、「みこころに沿った決断ができますように」、第三は、「どんなことが起こっても、心を沈めて、落ち着いてその事態に対処することができますように」、第四の祈りは、家族、友人のための祈りである。この四つの祈りをすることができると、決断するときにすっきりできるのだという。
④ 自己中心性からの解放
 自己中心が聖書で言う罪なのであるが、「その自己中心性は、神様から救っていただかないと、自らの努力でどうこうできるものではない」と言われて、柏木先生は洗礼を受けた。
⑤ 謝罪
 フランシス・シェーファーは、クリスチャンとそうでない人の違いは三つあると言う。それは、「謝れる」か、「赦せる」か、それから人が喜ぶ「愛の行動を取ること」ができるかだという。
人はだれでも、自分の責任外で起こったことを引きずっている。そういうものを引きずるなかで、少しでも自分でそれを自覚し、何らかの修復をしながら、人間は生きていくのだ。そういう視点を持ったときに、赦すことができるのだ。
⑥ ユーモア
 ホスピスでは、辛い状況を上手に笑い飛ばして、見事な死を遂げられた人が多くいた。ある患者さんが、「先生、だんだんあっさりしたものしか食べられなくなって、にゅう麺とかシャーベットとかを食べています」と言われた。先生は、「そうですか。元気なときは何がお好きでした?」と聞いたら、その方は「お金」と答えた。とんかつとかうなぎとかが出てくるのかと思っていたので、笑ってしまった。それも、場をなごませようとする患者さん自身の思いやりなのだ。「ユーモアとは愛と思いやりの現実的な表現である」(アルフォンス・デーケン)
⑦ 縦の平安
 人生の実力の中で一番必要なのは、「縦の平安」である(安全は身体、安心は心、平安は魂)。
「わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14・27)縦の平安とは、キリストによって神とつながり、神の国に至るまで平安が与えられている状態のことである。


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