望みの錨 Anchor of Hope 2008年7月13日週報より)
  言葉というのは、単に思っていることや成そうとしていることを相手に伝える道具というだけではなくて、人の内面を育てることに関わっているのではないかと思う。
 ヨハネによる福音書の第一章に、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という有名な記述がある。
 どうして言葉が神なのかと考えてみると、言葉というものは、音声であり、その声を作り出している声帯を振動させているエネルギー源は、息である。そして、息の源は命であり、命の源が神であるとすると、神と言葉がイコールになる。「言葉→音声→息→命→神」となり、「言葉」は「命」であり、究極的には「言葉」は「神」ということになる。
 言葉とは、単に意思の疎通の道具として日常生活で用いるその側面だけではなく、人と人とが関わり、心を通わせ合い、命と命を触れ合わせて生きていくということに関わっているものではないかと思うようになってきた。     
                  早稲田大学教授(英語教育)・浦和東教会員 東後勝明

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